「いのちなりけり」を読んだ。

平田ペインクリニック 桜

 近くに借りている駐車場の脇の家の庭にみごとな桜の木があって、3月いっぱい美しく街の一画を飾っていた。毎朝、車に乗る前のほんの数秒、眺めては心が澄むような、ちょっぴり悲しいような気分になっていた。4月に入って、葉桜の様相が急に強くなっている。もう数日で、たぶん今日の雨で、この桜の今年は終わりだろう。

 毎年、気になる桜並木がある。大分県の日田市に向かう途中にある小さな神社の桜並木だ。小山の上にある神社に向かう参道は季節になると桜のトンネルとなる。参道の入り口にある桜の古木は威風堂々、山肌を渡る風に枝が揺れて、満開の桜の花がさわさわとなる姿などを見ていると、どこか違う世界に立っているような気さえする。その桜、桜並木を今年は逃してしまった。気になって、気になって、明日は朝駆けで観に行こうと念じながら、朝の怠惰に負け続けてとうとう四月の声だ。

 

  春ごとに花の盛りはありめれどあひ見むことはいのちなりけり

 

  詠み人しらずのこの歌を探し求めて、恋するひとに伝えるために生き抜いた男の半生。満開の桜のさざめきのように、この歌の調べが全編を貫く秀作。いい話です。最終項の「葉隠れ」の引用が雅印のように光って忘れ難い。葉室麟作。