第2回「千美展」

 中島千香子、中島美紀 お二人の書作家による書展が天神のギャラリーで開かれてまして、前にも書いたとおり、お姉さんの千香子さんがボクの母校の書道教諭であったご縁でご案内いただいて、出かけてきました。

 洋画、日本画、彫刻、工芸、書と日展の5部門の内、書が最も難解で人気がないのだとか。そりゃそうだわね。なんて書いてあるのか,ほとんどワカランし、分かったところで、その書がどうして入選しているのか、その芸術的価値がフムフムと分かる人は多くはないでしょうよ。

 まあ、確かに読めた方がいいには決まっているけれども、読めなくても、なんだか伝わってくるものはあるのですよ。それは、何を歌っているのかよく分からなくても、洋楽のグループや歌手の歌にしみじみ聴き入ったりすることと似ている。

 だけれども、「書」は確かに書き手と観る者との間に通い合うものが、いささか生まれにくい芸術であることも確かだわね。

 今度の「千美展」の作品群を観ていると、「書」と言う芸術のそういった宿命というものをほんのり感じさせられました。

 昔、「読める書」を運動として展開した高名な書家がおられて、「誰でも読める」と言うことを大事にして、平易な表現を追求されていました。で、ボクの目には、平々凡々たる作品群が並んでいて、「読めりゃいいってもんじゃない。」ということを反対に教えられたもんです。

 この辺の話は難しいね。「意味が分かる」ということと「心琴に触れる」ということは全く別なようで、不可分なようで、、、。

 30年くらい前にヨー・ヨー・マが雑誌のインタビューに答えていたのをボクは芸術一般の真理を言い当てられたように感じて今でも覚えています。

 「音楽とはなんですか?ヨーヨーマさん。」

 「人間の表現です。」

 言下にそう答えたという稀代のチェリストの芸術に、ボクの余技的な書など比べるのもおこがましいわけだが、でもボクの書はボクの表現です。その点ではいささかも変わらない。未来永劫に聞き継がれる音色と、吹けば飛んでなくなるアマチュアの字との違いはあるけどね。

 千美展、伝統的な書ではない、じゃあ、前衛書かと言えばチト違う、まあ、なんでもいいんです。ボクは若い姉妹の書作家が、自分たちの表現を模索して、前進している「気」の波のようなものを感じて帰ってきました。また来年、期待します。

千美展 平田ペインクリニック