2013年

11月

11日

『素数の音楽』なる本を読んだ。

 ボクは数字、計算、数学が苦手と言うより、からきしダメで、二次方程式すら危ういのだけれども、この「素数の音楽」という本をとうとう読んでしまったのです。

平田ペインクリニック

 1月かかって読み終えた。さっぱり分からなかった。皆目、平易な説明も何が平易なのかさえ分からないレベルで、「驚くべきことに・・」とか言うフレーズも何が「驚くべきなのか」さっぱり分からないままに、読了してしまった。
 で、面白くなかったろうと言われると、サニアラズ。これが結構面白かったんだ。中心的なキーワードである『リーマンの予想』が素数に関するもんだと言うことは分かったが、内容は全くわからん。したがって、その予想を証明すべく数学者達が苦闘する物語も本当の雰囲気は分からずじまい。ただ、素数の問題がとてつもなく、複雑で、しかも、数学という非実際的な世界にとどまらず、セキュリティの原則を担保しているとか、量子力学の最先端の問題とリンクしているなどという内容・内実は全く分からないのに、『スゲー』と思いながら。で、この本のスゴサは、この『スゲー』と読者を思わせ続けられる書き手の筆力にあると思った次第。

1 コメント

2013年

11月

11日

ソウルに・・・。

 何しにイッタンカ?と言うご質問が多いので、遊びに行ったんではないかという疑念を晴らすために書き込みます。

 韓国医学会という韓国の学会があって、日本東洋医学会と仲良しで、毎年総会の時にゲストスピーカーをお互いに招いて講演をお願いしているのですよ。それが、今年は小生をお招きくださったというわけで、一介の開業医をお招きくださるというのは、大変嬉しいことで名誉なことで、小生もかなり気合いを入れて準備していったのです。

 筋骨格系の難治性疼痛について、というリクエストはテーマとして広大すぎてとても話せないので、頚椎の異常と痛みの漢方治療を中心にお話しさせていただいたのです。案外頚椎に異常があっての頭痛やめまいなんかあるんですよ、これが。

 途中スライドのリモコンが電池切れになって、『ネックスト、プリーズ』と何度も言わなくてはならないことになり、少々慌ただしい印象の講演となりましたが、皆さんご静聴くださり感謝でした。

 記念品に韓国医学のえらい先生の胸像をいただき、今クリニックの受付に飾っております。

 もう少しゆっくりしてきたかったですが、開業の身ではそれもかなわず、仁川空港で免税店サーフィンをしてくるのが精一杯でした。寒かったね。少々風邪気味です。

0 コメント

2013年

11月

09日

ソウルにいます。

 はじめて韓国に渡って、ソウルにいます。

 韓国医学会がボクみたいな一介の開業医を招いてくださっての今回の旅行です。本当に感謝です。

 仁川国際空港の広いこと。そこからソウル市内までの道の広いこと。ソウル市内の道の広いこと。半島とは言え、やはりここは大陸なんですな。島国とは違うんだわ。

 たぶんそうだね。一番の違いはそこだな。日本はナンノカンノ言ったって島国なんだな。ドンドコ歩いていったら、シベリアに着くかもしれないという環境ではないんだ。街並みは変わりませんよ、東京と。標識がハングル文字と言うぐらいで、セブンイレブンはあるは、大阪ラーメンとかいうなんだかよく分からないラーメン屋はあるは、ちっとも異国ではないよ。しかし、ここは大陸なんだね。

 川の大きさがまず違うね。ちょっと泳いで渉ろうという気にはならん川幅ですな。『隣国』なんていう感覚・ニュアンスが決定的に違うんだろうね。こういう風土は悠久の昔からあるわけで、その中で熟成した『国』感覚は、日本なんかとまずちがうんだろう。これはなんとなく分かっても、感得することができない感覚だろうな。

 明日11月10日は朝からソウル市内を少し歩いて、学会に出席して、ちょっとしゃべらせてもらって、もう少し韓国を感じてきます。

 いやあ、歓迎の食事会でいただいた料理はすべて美味しかったけれど、紹興酒に似た韓国のお酒、何というのか知らないが、実に美味しかったねえ。買えないんだって。残念至極。

1 コメント

2013年

11月

04日

カミーユ・クローデルの首

平田ペインクリニック

 ロダンが作ったカミーユ・クローデルの頭部の彫刻を観た。と言うか、それと出会ったというか。『画家のことば』と言う展覧会が久留米市の石橋美術館であっていたので、フト立ち寄ったら、それがあった。

平田ペインクリニック

 カミーユ・クローデルは、その彫刻の説明にもあったが、オーギュスト・ロダンの弟子・共同制作者にして愛人であった女性だ。映画「カミーユ・クローデル」ではイジャベル・アジャーニがその悲しく淋しい生涯を実によく演じていたが、この首から上のカミーユ・クローデルのなんと悲しげなことか。なんと、耐えていることか。少しうつむいてデッサンされた彼女の眼差しは憂いに満ちて、ブロンズの眼とは思えないほどだ。きれいな鼻の稜線がスポットライトに光って、何かをくっきりと訴えている。可憐な唇、ほんのすこし張った頬骨は意志の強さを伝えて、触れがたいような印象さえある。少し小さめに、おそらくは半分くらいの大きさに作られたこの人間の頭部は激しい何かを秘めて、破裂そうな緊張をかろうじてつなぎ止めているのだ。この頭部を作った作者がこの女性を愛していたこと、この女性がその頭部を作っている男を極めて純粋に愛していたこと、そのことを思うとき、この彫刻は一つの女の頭部ではすまされない何かを突きつけてくる。映画の中でロダンはモデルには片っ端から手を出すヒヒ爺的に描かれていたが、まぎれもない天才がこの頭部には働いている。ロダンは本当にカミーユを愛していたんだ。カミーユは結局ロダンに捨てられ、精神病院で最後を迎えるわけだけれども、彼らが生きた日々が極めて美しい、厳しい、切ない日々であったことを、この小さな頭部は静かに、ブロンズの冷たさそのままに静かに語っている。

 ロダンはこの頭部をこね上げながら、彼女のことが愛おしかった。内に燃える情念に耐えながら、粘土を捏ね,削り、これを作ったのだ。じっと観ていると、その静かな、強い息づかいが聞こえてくるようでした。

 他の絵画もさすがは石橋コレクションで、見応えがありました。しかし、なんといっても、今回はこのカミーユ・クローデルでしたね。

 時々は美術館に行くもんだね。思わぬ出会いがあるってもんさ。

0 コメント