2015年

12月

24日

2015年もあとわずか

 毎年、毎年同じことを言ってますが、早いもんです。もう最近じゃ,月日の経つのが早いことなんかじゃ驚かなくなりました。もう、年末?12月?それもあと10日もないの?ああそお、それがどうした?てなもんで、毎日毎日、バタバタバタバタしてりゃ、そりゃ時間なんかアクセル吹かしてすっ飛んでいきます。患者さんが来て、「あれえ、ついこのあいだ来たばかりじゃないの?」ってカルテを見たら、ちゃんと一月前に受診したっきり、なんてことは日常茶飯の出来事です。この人に12回会って1年が過ぎたかと思うと1年なんてあったんだかなかったんだか。

 それでも、今年は2015年であったわけで、2014年ではなかった。2014年の1年と,2015年の1年と,早さの上じゃたいして変わらないでしょうが、何か変わったのかしらね?まあ、これと言って進歩もなく、その日その時の仕事や用事を淡々とこなして過ごしたと言うところでしょうか。

 この間ある人から「先生の今年の漢字は何か決まりましたか?」と聞かれて、ハタと思ったね。去年は確か骨折したり、死んだ親父の骨を拾ったりしたから、「骨」かな、なんて決めましたが、今年はほんと何なんでしょう。「夢」多く、「想い」は遠く,啄木が寝っ転がって自分の名前を呼んだ青春の頃とまではいきませんが,なんとなく遠くを見つめながら、あくせくやってきた感がありますね。と言うわけで,今年の僕の漢字は「望」かな。

 

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2015年

8月

25日

栄養のセミナーを開きました。

 クリニックの待合室で「目からウロコの栄養療法」と題して、MSSというサプリメントの会社の方に来ていただいてセミナーを開きました。40名くらいご参加下さって、盛会でした。

 講師の伊藤さんは「まったく」無駄のない体型をされていて、栄養の話をされるにはもってこいの感じでした。鉄が大事だの、亜鉛が大事だの、お肉を食べなきゃだめだの、糖質はあまりよろしくないだの、と「うへー」っという内容にもかかわらず、みなさんご熱心に聞き入っておられました。いろいろ漢方を使っても、今ひとつ効果がでない患者さんがおられます。案外、基礎的な『栄養』が不足しているのかも知れない、と最近思います。医食同源、なんて言いますが、この時代そうそう簡単なことではないからね。

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2015年

8月

18日

6周年でした。

 平田ペインクリニックも6周年だそうで、院長の私がボーッとしていて忘れていたら、スタッフがケーキでお祝いしてくれて、びっくりしました。いろいろ各方面の方々に支えられてやってきましたが、スタッフにはほんとに恵まれたね。

 7年目に突入したわけです。その昔「開業して7年目です。」なんて言う先輩諸氏のおっしゃるのを聞くと、へえそんなに経つんだ、と感心してましたが、実際経ってみると、あっという間の6年間ですな。もういっぺん「あっ」といえば12年経つわけで、光陰矢の如しとはほんとにその通り。志ん朝の落語を聞いていると「光陰矢の如しなんて事を申しますが、どういうことかと申しますと、光陰というのは、まあ、矢のようなものだなあ、ということでございまして。」てな枕がありました。まあ、少し、肩の力を抜いて、ゆっくりゆっくり、力を入れるところだけ、ギュッと、なんてことを思っております。ゴルフのスウィングと一緒ですな。今後とも宜しくお願いします。

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2015年

8月

10日

暑い!

 暑い。夏だから当たり前だけど、暑い。雨も降る気色はあるが、降らない。降れないんじゃないか、暑くて。クリニックの南の面に並べたトネリコの鉢植えが軒並み葉を茶にしてきつがっている。風が吹くと、焦げ茶に焦げた葉っぱがパラパラと落ちて、元気だったトネリコも立ち枯れる寸前の様子だ。水をやっても、やる傍から乾いていくようで、日照りも並じゃないね。

 昼休みに往診に出ると、カッと、熱気が肌を刺すようだ。光太郎は「太陽は薄き板のようなものにて我が横面をぴしりと打つ」なんて書いたけれど、そんなもんじゃないね、この暑さは。炎熱だね。冷たいビール、冷たいハイボール、五臓に沁みるようです。しかし、この暑さの中で熱い珈琲が旨い。がっちり濃く淹れた熱い珈琲が腹に落ちて、朝が始まります。

 アイスコーヒーなんて飲み物がありますが、おいしいんでしょうけど、飲み終わる頃、氷と水に薄まって、なんだか騙されたみたいじゃありません?

 

 トネリコにも熱い珈琲をやってみようかな。あっという間に枯れたりして。

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2015年

7月

27日

金子みすゞ・金澤翔子ーひびきあう詩と書ーを観た。

 僕は書が好きでいろいろ書展を観に行って、同じ愛好家の人達と「ああだこおだ」と言い合うのが楽しい。青山杉雨や今井凌雪の遺作展なんか、なんかもう恐れ入った感じで、数時間見惚れて帰ってきたもんです。反対に少しばかり見る経験を重ねたもんだから、大家と言われる方々の作品でも「なんだかなあ」とがっかりしたりして、そうかと思えば、無名の地方の作家の作品に「うむむ」と惹き付けられたりして、まあ、書を観るのが好きなんです。

 で、この「金子みすゞ・金澤翔子ーひびきあう詩と書ー」は、なんと言いますか、さらりと言えば、ジーンときました。感心したり、恐れ入ったり、惚れ惚れしたりと、いうのとはまるで違う経験です。金澤翔子さんが10歳の時に書いたという般若心経の線の強さというか、なんというか、小細工など微塵もない、書き手の生きていることの運動そのものが書かれた時のままにそこにある気がしました。禅語のひとつだそうで、知らなかったのですが、「両忘」、過去も未来も忘れる、今この時、という意味の言葉の大書を前にした時は大きな団扇でバサリとあおがれたようでした。金子みすゞの詩文を書いた作品群は、まさしく言葉が所を得たように紙の上に際立っていました。「心」「道」とか、一字の大書もこの書家ならではの世界でしたね。「心」なんか「ああ、そうよね。心はそうよね。」と観る者を黙らせます。

 なんだかよくわからないけれど、涙がこぼれそうでしたね。この書家がダウン症であることが「鑑賞」に影響していることは、それはそうなんでしょうが、「書」としての完成度とか、熟達度とか言うものとは別の、「並々ならぬもの」が会場に満ちていました。もう、会場のベンチに座り込んで、じっと目をつぶってましたもんね。そうしていても、何かが迫ってくる、そんな書展でした。

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2015年

7月

12日

船遊び?

 日本疼痛漢方研究会という集まりが東京であって、今年は僕が会長と言うことで、少し頑張ってきました。おかげさまで、会は盛況で言うことなし、で良かったんですが、その後、漢方の仲間が「慰労会」を開いてくれました。なんと東京湾の上。

 隅田川河畔の船宿から一艘の屋形船に乗り込んだ「漢方大好き集団」はゆらゆら揺れる船上の座敷に座って、「船酔いの前に、リョウケイジュッカントウだ。」とか「イヤイヤ、ゴレイサンだ。」とか言ってましたが、程なくガンガン飲んで、バクバク食って、酔って揺れてるんだか、なんなんだか、分からなくなっていましたね。 

 いや、気持ちが良かった。隅田川から東京湾にずだだだっと出て行って、他の屋形船やクルーズ船が集まっている所に停まって、だははは、っと哄笑を吹き上げてました。みんないい顔してましたね。一日お勉強した疲れなど微塵も見せず、

「おう、あれがカチドキバシだそうだ。勝ち鬨を上げよう!」

「ここはお台場の沖らしいぞ。」「おお、そうか!」とか、よくわからん感激に浸ったりしておりました。

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2015年

7月

07日

富山に行った。

 日本東洋医学会という集まりがあって、富山に行ってきた。小松空港まで飛んで、金沢から北陸新幹線にちょっと乗るルートで、夜7時頃富山着。福岡を3時に出たんだから早いもんだ。

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2015年

6月

22日

オオムラサキがやってきた。

 一緒に漢方の勉強をしているT’先生が、オオムラサキを持ってきてくれた。羽化したばかりという成虫が2匹と今にも羽化しそうなさなぎが3体。幼虫から育てたんだそうだ。僕がかって昆虫少年で、どうしてもオオムラサキを捕まえられなかった無念を話したのを覚えていてくれて、わざわざ持ってきてくれた。初めて見るオオムラサキ。籠の中でゆっくり動く羽の背に、あの鮮やかな紫がかいま見える。

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2015年

3月

01日

仙台で。

佐藤忠良記念館の一室、薄いクリーム色の壁に映し出されたその人影に釘付けになった、とは言い過ぎかもしれないが、小さく息を呑んだのは確かだ。その人影は、壁から少し離れておかれた女性の座像、「帽子・夏」と題された有名な彫刻にやや斜めからライトがあたって現れたものだった。彼女は彫刻と同じようにつばの広い帽子をかぶって座っていた。夏の風に吹かれて、帽子をかぶって少しうつむいている女性。パンツの短めの裾に風がそよいでいるのが見える。裾からはみ出して、つま先立つ足から健康な歌が聞こえるようだ。影だけれど、その人は今にも動き出して、椅子から立ち上がり、いきいきとした声で何かを言うのではないか。今日、生きていることの肌に沁み込むような実感、不安と期待が入り交じる明日への眼差し。僕は本気でその影の彼女に名前を訊いてみたい衝動に駆られて壁に近寄っていった。

 影には肌があり、臭いがあり、鼓動があった。親しげな声をかけてくれることが分かっていながら、それが永久に訪れない時間の中で、「あなたは、、、」と声にならない声が胸の辺りで小さな渦になっていた。

 そんな「影」があるなどと、知っているはずもない。佐藤忠良記念館があることさえ、行ってみてはじめて知ったくらいだ。時間つぶしにふと立ち寄った宮城県美術館での邂逅だった。

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2014年

12月

04日

今年もあと3日

 今年もあと3日。寒波が急にやってきて、寒さに慣れぬ肌身は冷え冷えと、師走はいつにも増してバタバタと、日が過ぎていく。

 今年の「漢字」は「税」なんだそうな。偉いお坊さんが選んだんだから、深い意味があるんだろう。個人と社会を繋ぐ最も明解な現実として「税」があるとすれば、今年は「税」がクローズアップされた年ではあった気がする。

 私個人の漢字は何か。いろいろ考えたあげくに、私の今年の漢字は「骨」となった。

 9月末にひょんなことで右足の小指の基節骨という奴を折った。骨折である。痛かった。12月に入るまで、常に折れたところに意識があった。レントゲンでくっきりと写った骨折線は網膜に焼き付いてしまった。軽い方だとは言え、歩く度に痛く、2日ほど松葉杖の生活もした。それがだんだん良くなっていき、早歩き、駆け足まで出来るようになった時は、「ほお、やっぱり治るんだな。」と人体の不思議に感じ入った。

 骨折をした9月のはじめには、父が急逝した。87歳の生涯を終えて、父はクリスチャンだから、天国に行った。山の上の火葬場で骨となった父と対面した。カンカンカサカサに焼けて出てきた父の骨と生前の父の面影は容易に繋がらず、収骨を困惑と冷静の狭間のようなこころもちで行った。

 と、言うわけで今年の漢字は「骨」。こんな風に My  漢字を考えたことはなかった。さて来年は、と、時間を見遙かす前に、山ほどの書類を片付けねば。

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2014年

12月

01日

12月です。

 今日から12月。マイトシマイトシこんなことばかり言っている。早いもんだ。いい加減,この「早いもんだ。」という自然現象を覚えなければならないね。

 それにしても早い。時間の流れ、地球の飛ぶスピード、そんなものとは別の何か違う物理量が我々の中に行き来しているのではないか。

 そんな早さについて行けず,長者原のコスモスたちは先週まで「まだ咲いているもんね。」的に揺れていたが、今朝は「はい、モウサイナラ、また来年ね。」とバタバタと店じまいである。傍らに並ぶ銀杏の並木も、黄色の葉っぱを脱ぐように散らしてほとんど裸に近くなった。

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2014年

11月

24日

もう11月も終わり

 もう11月も終わる。短かった夏の代わりというわけでもないだろうが、今年はやたらと秋が美しい。9月に父が急逝して、少ししんみりしているせいだろうか。なんでもない木々の葉に日が射して、晴れきった秋空をバックに風に揺れているのを見たりすると、「きれいだな。」と見入る裏側になにやらさみしいような感慨がはっきりとある。「この明るさの中に、ひとつの素朴な琴を置けば、秋の美しさに耐えかねて、琴は静かに鳴り出すだろう。」と八木重吉が歌った詩を思い出して、ほんとに「秋の明るさだ。」なんて、街角でボーッとしてる。少しアブナイ雰囲気かもしれない。

 福岡を含めて九州の空はまるきりの青ではない。わずかだが、黄土色がまぶしてあるような空だ。このことを教えてくれたのは小学校3,4年の時の担任だったY先生だ。Y先生はちょっとした画家で、図画工作の時間に外で写生をしていると、「空は何色に見える?」と尋ねられた。僕は何をきくんだろうと思って、「青色?」と答えると、「君の目はふしあなかい?僕の目には小さな黄土色が見えるけど、君の目には見えないの?」と、空を見上げて眼を細めながら、にっこりされたのを思い出す。それ以来、僕の頭上の福岡の空は,ほんの少し黄土色のつぶつぶが混じった水色の空だ。

 Y先生も僕が知らない間に、この世を去ってしまわれていた。自由であること、人に優しくすること、美しいものにあこがれること、そんなことを僕はY先生から教わった気がする。

 

 人は去る。人は残る。立ち止まるわけにはいかないが、すこしゆっくり歩みを緩めているこの頃である。 

 

 名月や我ら地に在りものを食む  芝道

 

 

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2014年

4月

27日

久々に湯布院に行った。

 大分の帰りに久々に湯布院に寄って、喫茶「あーでん」でコーヒー飲んで、バッハのパルティータを聴いてきました。相変わらず、素晴らしい音響で、新緑が窓から染み込む店の中で、グリューミオがいつ果てるともなくバッハを奏でて、贅沢な時間でした。

 由布の町に下りたら、これまた相変わらずの観光客いっぱいで、車で行くのがはばかれる混雑でした。しかし、まだ春浅い湯布院盆地に雨の前の涼しい風が吹き抜けていて、木々はどれも若々しく緑で、由布岳の威風を見上げながら、久しぶりに気持ちよく由布の通りを歩いてきました。

 時々行かなきゃね、湯布院は。

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2014年

3月

27日

桜もきれいだが、、、.

 世は春。すこおし肌寒いこともあるが、眼を上げれば、あちこちに桜が咲いている。「オオシ、今年もオレらの季節がやってきたぜ。」と言わんばかりの咲き様だ。もう数日経つと、狂わんばかりの満開になるだろう。

 ・・・

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2014年

3月

09日

沖縄に行った。

 沖縄は北部、名護市に行って漢方の話をした。その後、友人のO先生とO先生の友人のI先生と3人でとあるペンションで食事をした。ひとりではとても行けない沖縄も端っこの方、名護市から車で30分くらいだったか、備瀬崎という東シナ海に突き出た岬の近くだ。と言っても、そんなことは後から調べて分かって驚いたんで、行ってる途中や食べてる時には何もワカランやったわけです。

 ただただオドロキの料理の品々。鯛、貝、海藻、豚、などなど、開高健は食べ物と女性を書き現さなくては筆をもって世に立つと言うことにはならない、と言ったけれど、ボクは文筆のプロではもちろんないから、あっさり降参して、ただただオドロキだった、と言ってしまいます。

 お土産に包んでくれた(これも何の葉っぱだか知らないが、沖縄の葉っぱで包んでくれるわけです。)ブットイ太巻き寿司のスゴイこと、美味しいこと。

 また、行くゼイ。5月までしかやらないそうで、再開は11月と言うことなので、11月、秋も深まる頃、また行くぞ。カナラズ。

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2014年

2月

28日

56才になった。

 去年55才だった。ついこのあいだ、56才になった。おそらく0才だった頃のボクの写真が残っていて、裸で畳に腹ばいになって遊んでいるんだが、この赤ん坊が56年間生きて、こうなったわけで、ナントモ言葉にならない、小さく息を吸ってそのまま吐けずにいるような感慨です。

 ちょっと昔なら、56というと、定年で『お父さん、ご苦労さんでした。これからはのんびり過ごしてください。』という歳だったんじゃないかしらね。

 ところがどっこい、56になったボクは、そんな『しみじみ来し方振り返り』の日々なんてトンデモナイ。今日の息継ぎに懸命の日々です。

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2014年

2月

24日

「蜩ノ記」を読んだ。

 羽田空港で時間ができたので、『本』という看板のところに行ったら、文庫本ばかりで、葉室麟さんの「蜩ノ記」があったんで買って読んだ。羽田の喧騒を逃れて、フォートナムメイソンの店に行って読んだ。次の日の夕方、涙をこらえながら読み終えた。

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2014年

2月

06日

吉野弘さんが亡くなられた。

 詩人の吉野弘さんが亡くなられていた。吉野弘さん、とか言ったって、直接存じ上げているわけではないから、さん付けで呼ぶのは面はゆいというか、どこか妙なんですがね。

 けれど、若い頃、そう、20か21の頃、彼が編んだ『祝婚歌』という詩のアンソロジーに触れて以来、ずっと心の中に忘れなかった詩人です。昔、何かのテレビドラマで森繁久弥が「ふたりがむつまじくいるためには・・・」という一節がある、今ではすっかり有名になった彼の詩を実にうまく朗読したのを聞いて、「今の詩はいったい誰の何という詩なんだろう。」と思っていて、そのアンソロジーの中で再びその詩に出会ったときは、嬉しかったね。

 「正しいことを言うときには、控えめに言う方がいい。」というフレーズなんかは、半ばボクのモットーだね。(実際はなかなかそうはいってないんだけど)

 合掌

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2014年

2月

03日

早いもんです。

 早いもんです。と、去年も同じことをつぶやいてまわっていたな、今頃。もう2月なんで、今日は節分なんだそうで、歳の数+1個の豆を食べなきゃならんのだそうで、そんなこと真面目にしてたらおなかを壊しそうだ。

 ナンてったって時間てのは止まることなくずんずん進んでいくんだから、「ちょっと待て、コラ。」なんてわけにはいかないんだ。今更嘆いても仕方がない。

 時間がいつ始まったかって?そう、そんなことはどうでもいいことなんだが、昔、「地下鉄の車両はどうやって入れたんでしょうねえ?」なんて漫才が流行ってましたが、ほんとに『時間てのはいつチクタク始まったんでしょう?』

 それと、この宇宙というやつはビッグバンとか言うでっかい爆発から始まったと言うけれど、その爆発の前は何があったんだろう?

 このあたりがよく分からないから、ビッグバンの話はボクにはしっくりこないんです。

 で、そのことをちゃんと教えてくれている本に出会いました。

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2014年

1月

01日

2014年になりました。

 気合いを入れていようと、ボーッとしていようと、地球は太陽の周りをぐるっと一周して、一年が過ぎるわけで、毎年毎年似たようなことをしながらカレンダーが新しくなります。

 去年は『忙中閑あり』だ!とか息巻いていましたが、『閑』はなかったですね。『忙』の方はしっかり忠実な執事のようにいつもつかず離れず傍らにいましたけど。

 で、今年はもう『閑』は求めない。しかし、『忙』にも騒がない。

泰然自若。もう悟達の境地で粛々と日々を送るのです。というのは真っ赤な妄想で、そんなことできゃしませんよ。どうせ、何かに追いまくられて、尻に火が付いたような心もちで一年365日が過ぎて行くに決まっておる。

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2013年

12月

21日

0 グラヴィティ 観ました。

 サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー主演のエスエフ・パニック映画「0 グラヴィティ」を観ました。まともに絵として出てくる人間はたった二人。サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーだけ。後は宇宙空間が出演者と言ったところか。

 まあ、どうやって無重力の世界を撮ったんでしょうね?今はCGで何でもできるとは言え、サンドラ・ブロックが宇宙船の中を泳ぎ回るシーンなど、よくできてますねえ。

 話もよくできてます。女房に逃げられて一瞬一瞬しか生きられなくなった男、子供を亡くして明日を思うことを忘れた女、彼らを飲み込もうとする冷酷な宇宙空間。重力ゼロの世界が薄皮一枚隔てて死を浴びせかける。そこに際立つ「生」への意思。希望への回帰。ラストシーンでは重力が喜ばしい何かを歌っているようでしたな。

 まあ、映画ですから、「そりゃないでしょう」的な展開はありますよ、そりゃ。だけど、いいの!サンドラ・ブロックの脚線美はゼロ・グラヴィティだろうが、オキシジェン・0パーセントだろうが、圧倒的に完勝。久しぶりに全編「固唾をのんで」観ておりました。

 追記;"こちらヒューストン。Do you copy?”の声はエド・ハリスですと。こっそり、渋いねえ。

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2013年

11月

11日

『素数の音楽』なる本を読んだ。

 ボクは数字、計算、数学が苦手と言うより、からきしダメで、二次方程式すら危ういのだけれども、この「素数の音楽」という本をとうとう読んでしまったのです。

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2013年

11月

11日

ソウルに・・・。

 何しにイッタンカ?と言うご質問が多いので、遊びに行ったんではないかという疑念を晴らすために書き込みます。

 韓国医学会という韓国の学会があって、日本東洋医学会と仲良しで、毎年総会の時にゲストスピーカーをお互いに招いて講演をお願いしているのですよ。それが、今年は小生をお招きくださったというわけで、一介の開業医をお招きくださるというのは、大変嬉しいことで名誉なことで、小生もかなり気合いを入れて準備していったのです。

 筋骨格系の難治性疼痛について、というリクエストはテーマとして広大すぎてとても話せないので、頚椎の異常と痛みの漢方治療を中心にお話しさせていただいたのです。案外頚椎に異常があっての頭痛やめまいなんかあるんですよ、これが。

 途中スライドのリモコンが電池切れになって、『ネックスト、プリーズ』と何度も言わなくてはならないことになり、少々慌ただしい印象の講演となりましたが、皆さんご静聴くださり感謝でした。

 記念品に韓国医学のえらい先生の胸像をいただき、今クリニックの受付に飾っております。

 もう少しゆっくりしてきたかったですが、開業の身ではそれもかなわず、仁川空港で免税店サーフィンをしてくるのが精一杯でした。寒かったね。少々風邪気味です。

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2013年

11月

09日

ソウルにいます。

 はじめて韓国に渡って、ソウルにいます。

 韓国医学会がボクみたいな一介の開業医を招いてくださっての今回の旅行です。本当に感謝です。

 仁川国際空港の広いこと。そこからソウル市内までの道の広いこと。ソウル市内の道の広いこと。半島とは言え、やはりここは大陸なんですな。島国とは違うんだわ。

 たぶんそうだね。一番の違いはそこだな。日本はナンノカンノ言ったって島国なんだな。ドンドコ歩いていったら、シベリアに着くかもしれないという環境ではないんだ。街並みは変わりませんよ、東京と。標識がハングル文字と言うぐらいで、セブンイレブンはあるは、大阪ラーメンとかいうなんだかよく分からないラーメン屋はあるは、ちっとも異国ではないよ。しかし、ここは大陸なんだね。

 川の大きさがまず違うね。ちょっと泳いで渉ろうという気にはならん川幅ですな。『隣国』なんていう感覚・ニュアンスが決定的に違うんだろうね。こういう風土は悠久の昔からあるわけで、その中で熟成した『国』感覚は、日本なんかとまずちがうんだろう。これはなんとなく分かっても、感得することができない感覚だろうな。

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2013年

11月

04日

カミーユ・クローデルの首

平田ペインクリニック
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2013年

10月

22日

ラビット・ホールを観ました。

 ニコール・キッドマン主演のこの映画は良くできた映画ですね。子供を不慮の事故で失った夫婦の苦しみがまったく脚色されずに、そのまま表現されて、最後まで安易な妥協が一歩もない映画でした。

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2013年

10月

06日

「くえ」を食べてきた。

 徳島で「くえ」と言う魚があると聞いて、食べてきました。なんでも深海に住む魚だそうで、でかいのになると60kgぐらいにもなるそうで、お店の水槽に泳いでいた?やつが14kgというから想像するとばかでかい魚だ、と思った。で、料理されて出てきたのは32.5kgだったそうで、それでもかなりでかいやつをいただいたわけです。

 白身なんですが、しっかり味があって歯ごたえも良く、こりゃ名物になるわ、と思いました。刺身、ステーキ、鍋物と「くえ」づくし。最後の「くえ」の濃厚なだしで作ってくださったおじやは絶品でした。「くえ」は「九絵」だそうで、最初に見つけた人が九本の黒い筋があったんで、「九絵」になったとか。

 いろいろ説明しながら、料理を作ってくださった女将がまた上品で何とも言えぬ徳島弁のやわらかな言葉遣いで、心身ともにゆったり、美味しいひとときでした。徳島に行かれたら、「志美津(しみず)」で「くえ」を食べるヨロシ。

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2013年

9月

23日

「エリジオン」観た。

 B級。

 大江健三郎の小説に「治療塔」というのがあって、異文明の星にそこに入ればいかなる病気も完治するという装置があるという設定。そこに死んだ子供を入れると生き返ってしまうと言うので、あーたらこーたら話が難しくなる筋立て。エリジオンの「医療ポッド」も同じような設定で、結局その存在が「上」と「下」との決定的な差異。

 超富裕層だけが享受できる医療環境を一般に公開してACCESS可能にする一見ハッピーなエンディング。

 まあ、縦糸は美しき無差別、無等級の社会へのあこがれということですが、横糸がはっきり言ってゲサク極まりない。横に座っていた妙齢の女性は悪漢の顔が吹っ飛ぶところなんかで、顔を背けてましたもんね。(アタシの連れじゃないよ。)この監督はあのどうしようもないエスエフなのかなんなのか分からない「なんとか地区」とかいうエイリアンものを撮った人ですが、ウーム。

 ジョディ・フォスター必要なし。「V」の爬虫類侵略者の女親分の方がはるかにましだった。マット・ディモンもご苦労さん、という感じ。

 

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2013年

9月

23日

「風立ちぬ」を観ました。

 宮崎駿の監督最終作という触れ込みと、畏友の推薦「泣くぜ。」と言うのが重なって、観てきました。まあ、やるせない映画でしたね。不治の病だった肺結核、今からは想像も付かない精神状態が支配した戦争、その中で生きた方々の真摯な心情。「一機も戻ってきませんでした。」という現実。「私たちに残された時間は少ないのです。」という確信。氷のように冷たく鋭利な時間の経過故に際立つ、生きていることの何か。なにもかにもがぼーーーーっとしている今日この頃には、まず浮かび上がらぬ色彩。

 「風立ちぬ、いざ・・・」

 泣きました。畏友の言ったとおり。泣いた泣いた。

 今日、風が吹いていないのか、あるいは、吹いている風に気づかないのか。

 ・・・しかし、あのエンディングは何?

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2013年

9月

13日

「永遠の僕たち」を観ました。

 なんで予約したのかも忘れていたDVDが来て、タイトルは「永遠の僕たち」。なんだかワクワクしないタイトルで、来たから観てみっかと、観たらとてもいい映画でした。交通事故で突然両親を亡くした少年と脳腫瘍で余命数ヶ月の少女の美しくも儚い恋愛物語、と言ってしまうと、この映画の紹介としてはまったく不十分でしょう。

 日本人の特攻兵の幽霊が出てきて(この役は加瀬亮が渋く演じている)、昔懐かしい戦艦ゲームを主人公とやる場面があったり、なんなんだいったい、と思わせながら、次第に明らかになる少年の心の深奥。それにきれいな綾糸のようにからんでいく少女の生きている日々。

 映像が美しいわけではないけれど、美しい映画だったという感慨が残りましたね。「死」と「生」が交錯するような筋立ては、「風立ちぬ」に通底するような気がしました。

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2013年

8月

26日

「相田みつを展」を観てきました。

 福岡の岩田屋という百貨店で「相田みつを展」が開催されて、書友から教えられて出かけてきました。ほんとはボクは相田みつをの書は書として如何なものかいな、という気持ちを持っていたのです。しかし、これは偏見だったね。文言がいい、その文言を書き留めている字が実にいい。ヘタウマのように評されることもある彼の書ですが、どっこい、じっくり前に立って観ていると、深々と練られた世界が静かに横たわる印象です。あまり写真なんかに撮られないけれど、「ひとりになりたい、ひとりはさびしい」という書の線情にはほとんどまともに眼を向けていられないほどの寂寥がありました。

 そして、なにより般若心経の写経の小楷には見入ってしまって、こりゃ少々の書き手ではないんだ、と今更ながらに思った次第。まったく、今までボクは傲慢でした。

 なんか、こう、すこしうなだれて会場を後にした次第。


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2013年

8月

25日

第2回「千美展」

 中島千香子、中島美紀 お二人の書作家による書展が天神のギャラリーで開かれてまして、前にも書いたとおり、お姉さんの千香子さんがボクの母校の書道教諭であったご縁でご案内いただいて、出かけてきました。

 洋画、日本画、彫刻、工芸、書と日展の5部門の内、書が最も難解で人気がないのだとか。そりゃそうだわね。なんて書いてあるのか,ほとんどワカランし、分かったところで、その書がどうして入選しているのか、その芸術的価値がフムフムと分かる人は多くはないでしょうよ。

 まあ、確かに読めた方がいいには決まっているけれども、読めなくても、なんだか伝わってくるものはあるのですよ。それは、何を歌っているのかよく分からなくても、洋楽のグループや歌手の歌にしみじみ聴き入ったりすることと似ている。

 だけれども、「書」は確かに書き手と観る者との間に通い合うものが、いささか生まれにくい芸術であることも確かだわね。

 今度の「千美展」の作品群を観ていると、「書」と言う芸術のそういった宿命というものをほんのり感じさせられました。

 昔、「読める書」を運動として展開した高名な書家がおられて、「誰でも読める」と言うことを大事にして、平易な表現を追求されていました。で、ボクの目には、平々凡々たる作品群が並んでいて、「読めりゃいいってもんじゃない。」ということを反対に教えられたもんです。

 この辺の話は難しいね。「意味が分かる」ということと「心琴に触れる」ということは全く別なようで、不可分なようで、、、。

 30年くらい前にヨー・ヨー・マが雑誌のインタビューに答えていたのをボクは芸術一般の真理を言い当てられたように感じて今でも覚えています。

 「音楽とはなんですか?ヨーヨーマさん。」

 「人間の表現です。」

 言下にそう答えたという稀代のチェリストの芸術に、ボクの余技的な書など比べるのもおこがましいわけだが、でもボクの書はボクの表現です。その点ではいささかも変わらない。未来永劫に聞き継がれる音色と、吹けば飛んでなくなるアマチュアの字との違いはあるけどね。

 千美展、伝統的な書ではない、じゃあ、前衛書かと言えばチト違う、まあ、なんでもいいんです。ボクは若い姉妹の書作家が、自分たちの表現を模索して、前進している「気」の波のようなものを感じて帰ってきました。また来年、期待します。

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2013年

8月

20日

人類の最大の弱点は「愛」だ!を観たぞ。

 お盆先行上映と言うやつにアクセスして、スタ・トレ最新作を観てきました。大満足でしたね。トレッキーの心をくすぐる勘所をよく知ってござる。
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2013年

8月

15日

World War Zを観た。

 今年の夏は観たい映画が沢山あって、たぶんまた見損ねて「あーあ」となるだろうと思っています。そこで、あんまり見損ねるのもしゃくだから、レイトショーと言うやつに行ってきました。夜出かけるんだが、まだ暑いんだこれが。

 で、ボクは夜遊びをしない人間だから知らなかったんだが、9時ぐらいに始まる映画でもけっこう人が来るのね。カップルやら、ボクと同じ思惑なのか、おっさん一人とか、さすがにおばさんお一人という方は見かけなかった気がするが、まあ、評判の映画と言うこともあってか、中入りでしたね。

 で、"World War Z"なんですが、まあ、凄まじい映画を撮るもんだ。似たようなコンセプトの映画は他にもあったような気がしますが、イスラエルの街があっという間に壊滅していく様子なんか、「こりゃ、いかん!」と本気で思いましたもんね。

 こういった映画には付きものの、「ソリャナイダロ」的な筋書きや場面はあるにはあるが、それは映画らしいと言える範疇でしょう。

 ヒーローがブラッド・ピットでなければならなかったのかどうか、ご覧になった方と、議論してみたいところです。ドーデモイインダガ。

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2013年

8月

06日

道草をした。

家路で都市高速に乗ると真正面に夕日があんまり大きくてきれいだったから、「あれが海に落ちるところを見てやろう。」という気にフトなって、途中下車して博多湾の海岸端にまで行ってみた。そしたら、残念。あっという間に夕日のやつは沈んでしまっていて、夕焼け色に輝く空があるばかり。しかし、その空とそれに映える海が絶景でした。西を見やれば福岡タワーやヤフードームが夕景色の中に烟っていて、なんだかちょっとした旅のひとときになりました。人生は寂しいことが多いけれど、美しい景色はやはり美しい。このところの猛暑が二日続きの雨で少し下火になった夕暮れ。夕焼け色の凪いだ海。いいスポット見つけました。次は△♥♧⁂♠でまた来るぜ。

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2013年

7月

21日

秋田に行った。

 漢方の話をしに秋田にまた行った。眠たくて眠たくて鳥海山を観る余裕もなく眠りこけて秋田空港に降りた。羽田経由で乗り換えがきついのか、疲れました。自宅の前を朝10時に出て、秋田市内の講演会場に3時45分に着くんだから、大したもんです。

 翌朝、だるい身体をしゃんとすべえと思ってホテルの近くを歩いていたら、お城跡の公園があって、散策してきました。なんでもお城跡を公園に整備したのは秋田が日本で初めてだそうです。少し雨模様でしたが、さすがに暑くもなくいい散歩でした。石碑を見つけて表に回ったら、若山牧水と旅人の父子の歌碑なんだ、これが。

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2013年

7月

14日

滑り込みアウト

 埼玉県大宮市で漢方の話をして、スタコラサッサと羽田に向かった。あわよくば、帰りの便を早くしてもらおうと、ANAのカウンターに駆け込んだ。「これ、早い便に変更できませんか?」と言ったら、何も言わずに、お姉さんはてきぱきとキーを打って、「お手続きは不要ですので、16時30分の便で15分前までに検査場にお進みください。」というもんだから、「いやいや、それじゃ予約のママの便だから、もひとつ前のにならないかと言ってるんです。」と再度お願いしたら、また、何も言わずにてきぱきとキーを打って、「申し訳ありませんが、たった今、受付を終了しておりますので、変更はいたしかねます。」とのたもうた。たった今、て、あんた、たった今、オレの言うことをよく聞きもしないで、わかりきったことを確認するのに1分ぐらい使って、そんでもって、たった今だめになりました、はないじゃないの。と、食らいつこうと思ったが、そのお姉さんが「わたくし、マニュアルとおりにしかゼッタイ動きませんの。」という表情だったから、スンナリあきらめて、もうすこし端の方のカウンターのもう少しおつむが涼しそうなお姉さんに、「もしかすると」とおもいながら再度申し込んだ。で、同じようにてきぱきてきぱきとキーを打ったあげく、断られたのです。しかし、その2番目のお姉さんは、とても感じがよく、「申し訳ございませんが、」と眉間にしわを寄せて、いかにも自分たちの決まりの方が理不尽だと言わんばかりに、「あなたの来るのがちょっと遅かったのよ。」ということを知らせてくれたのです。この違いは大きいね。で、羽田で、1時間半の暇ができてしまった。東野圭吾の読みさしをどこかで読もうと、考えていたら、ふっと紅茶のお店を思い出したのです。羽田の長い長い待合の一番端に、フォートナム・メイソンの店があるのを皆さん知ってござるか?その辺までいくと、羽田の喧噪はウソのように鎮まり、なんだか、ちょっといい空間ができているのですよ。白いしゃれたテーブルがいっぱい出してあって(たいてい、だれも腰掛けていない)「ここでお紅茶とスコーンなど召し上がれ。」てな雰囲気なのです。そのしゃれたお店を教えてくれたのは鹿児島のY先生なんだが、薩摩隼人のカレが一人で便待ちの時間をアールグレーなんぞを飲みながら過ごしている図はなかなか想像しがたいぐらいに、いい感じのお店なんです。で、今回私は、カレーセットなど注文して、セットの紅茶をホットにしてしまって、カレーの辛みが倍増して後悔しながら、講演旅行のおしまいの時間をなんとなく穏やかに過ごせたのです。最初に「もう遅いよ、あんた。」的に応対したテキパキマニュアルグラウンドスチュアーデスのことなど忘れて、(昨夜のホテルの部屋のそれはそれはわびしかったことなども忘れて)完全犯罪のトリックに挑むガリレオの推理に没頭しておりました。

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2013年

6月

19日

絵画展の題字を書かせていただきました。

平田ペインクリニック

 ボクはプロの書家ではもちろんないから、プロのような字は書けない。だけど、ときどきボクの字を気に入ってくださって、揮毫を頼まれることがある。ボクはそんな時、謙遜とか、遠慮とかゼッタイしない。謙遜とか遠慮とかするほど上手ではないからだ。厚かましい、という批判もあろうが、お構いなし。書のアマチュアが書いてくれと、頼まれるなんて、光栄の至り。寝る間を削っても書くもんね。

 で、今回は「べるぽ会」という文化団体?(間違っていたらごめんなさい)の主催する「日中韓友好児童絵画展」のポスターの字を書かせていただいた。プロなら一発だろうが、ボクあたりでは何枚も何枚も書いて書いて、だんだん自分が書きたい書のモチーフがはっきりしてきて、それに近づくようにまた書いて書いて、最後は妥協する訳です。この過程が何ともしれず楽しい。自分の未熟さを突きつけられつづけるわけですが、それでも、楽しい作業なんだな、これが。機会を与えてくださったべるぽ会のTさん、ありがとうございました。

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2013年

6月

10日

パーティに行った。

 以前勤めていた大分県の済生会日田病院の救急ユニット開設10周年記念パーティがあって、久方ぶりに日田に行ってきました。もう10年経つのか、と過ぎ去った時間を思いやったもんです。まあ、同窓会のようなもんで、懐かしいお顔ばかりで、と言っても、10年かそこらではあんまり変わらんもんで、皆さん少おし太ったり、痩せたり(痩せた方はあまりいなかったが)、白髪が増えたり、婦人公論ど真ん中になっておいでだったり、まあ基本的におかわりないわけだ。救急ユニットというのは救急ユニットなので、外来で緊急入院が必要な患者さんをまず受け入れて治療するユニットなんですな。当然忙しい。当然激しい。当然楽じゃない。そうすると、そこで働いているもの同志はなんだか、戦友みたいになって、親密になってくるもんなんですな。だから、久しぶりに会って五分も経たないうちに元の間柄が湧出してくるわけです。良かったね。いいパーティでした。そりゃ、医療の現場はイロイロ矛盾や限界やヤルセナサがあるわけで、今もきっとユニットの中はそれらのごった煮のような状態でしょう。でも、それなりにやらなきゃならないのよ。ボクらはそうしてきたし、カレら、カノジョらはこれからもそうするだろう。ワイワイガヤガヤの笑顔の陰にいっぱいに張った洗面器のような緊張がふっと見えて、ボクにはそんな眼差しの方が心底懐かしかったね。いい仲間と仕事していたもんです。

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2013年

6月

05日

カレーパンについて

 カレーパンがイケナイのは、全部食べてしまうことだ。半分でやめとこうとか、できない。だいたいほとんどのカレーパンは旨い。これはイッタイナンダ、と言うような犯罪的なカレーパンにはまだ出会ったことがない。だから全部食べる間、ずっと幸せなのだ。

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2013年

6月

03日

鹿児島で学会がありました。

 5月31日から6月2日まで鹿児島で日本東洋医学会総会というのが開催されました。日本中の漢方や鍼灸に興味を持っている人たちが集まって、ガヤガヤ議論するのです。僕も一応、漢方専門医ですから、参加してきました。

 僕が楽しみにしていたのは実は会場になった城山観光ホテルの大浴場からの景観と朝食だったのです。ところが、大気汚染なのか、火山灰なのか、知りませんが、桜島はすそ野の方しか見えず残念でした。いつだったか、泊まったときには、露天の大浴槽から桜島とその稜線から昇る朝日に見とれたもんです。今回は期待外れでしたね。朝食は相変わらず美味しく頂きました。ホテルは朝飯でしょう。

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2013年

5月

19日

秋田に行った。盛岡にまた行った。

 秋田市に行った。羽田まで飛んで、飛行機乗り継いで秋田に飛んだ。眠たくてずっと寝ていたが、フト目を開けると、まだ雪化粧をしたなんだか異様な感じの山がすぐ横に見えていた。地理に疎いから、なんという山なのか分からなかったが、何とも言えない迫力に見とれて、シャッターを何枚も切った。周りとは隔絶して、その山だけが屹立して、所々消えてはいるがまだ白々と雪の山肌で、明るい春の陽にそれが輝くようで、その山容にボクは胸騒ぎを覚えるようだった。

 空港から乗ったタクシーの運転手さんに訊ねたら、「そりゃ、鳥海山だ。」と即答で、「ああ、あれがそうなんか。」と不明を密かに恥じたわけです。それにしても、異様だった。ボクには人跡絶える山のように感じられた。美しいんだが、遙かに遠い果ての地の山のように思えた。

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2013年

5月

12日

出雲に行った。

平田ペインクリニック
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2013年

5月

04日

旅の思い出1

 国際疼痛学会という厳めしい学会に発表しにウィーンまで行って、7日間の学会期中、ウィーンとその周辺をウロチョロしていたことがある。発表のポスターの横に2時間ほど立っていたら、エジプトの内科の女医さんが質問しに来て、何言っているのか全く分からず、向こうもボクの英語が分からないらしく、10分ぐらい疎通のない交流をして微笑み合って別れたのを覚えている。

 で、そんなことはどうでもいいので、ある日、ハンガリーとの国境近くにきれいな湖があることを旅行ガイドで見つけたボクは、朝もハヨからバスに乗ってその湖のある町へと行ったのです。暑い夏の日がウィーンの郊外の畑を明るく照らしていたな。

 名前も忘れたけれどその町に着くと、みんなゾロゾロ貸し自転車屋さんに行くんだ。で、ボクもついて行って自転車を借りたんだ。ドイツ語でだよ。すごいでしょ。自転車屋の親父の言ってることなんか全く分からんのに、よく借りられたもんだ。向こうも、ナニ言っているかワカラン小さなアジア人にパスポートだけでよく貸したもんだ。

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2013年

5月

02日

「薫寿堂」の書家が分かりました!

 「薫寿堂」の作者がとても気になると、書いてから、ほんとに気になりだして、よし「薫寿堂さんに訊いてみるべし」と思い立って、HP探して、お問い合わせのメールを使って、恐縮しつつ訊ねてみたのです。そしたら、速攻で返事をくださり、その書家が判明しました。その方は淡路島にご在住の南岳杲雲(なんがくこううん)さんという書家で、この方のHPに「薫寿堂」のロゴとしてアップされていました。南岳杲雲先生は梅舒適という篆刻の世界の最高峰の方の書家のお弟子さんでした。関西、篆隷、男性と言ったところは、小生の想像通りでした。梅舒適作の「初心不可忘」という篆書の扁額が高校の書道教室にかけてあって、いつも目にしていたものです。なんだか、ご縁があるな、と勝手に思いました。薫寿堂様、ありがとうございました。
街の書たち5 薫寿堂」 

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2013年

4月

29日

街の書たち5

平田ペインクリニック
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2013年

4月

28日

「おとこの秘図」を読んだ。

 葉室麟作「花や散るらん」をほとんど同時に読み始めた。「花や・・」を読み始めて、数日して講演に出かけて、「花や・・」を出張鞄に入れ忘れて、空港で題名に惹かれて買って読み始めた。偶然に同じ時代の物語。時は元禄、徳川の世は安泰、文化爛熟の江戸、忠臣蔵の騒動が起こったころの話である。もっとも、「おとこの・・」方は綱吉から八代将軍の吉宗が死んだ後まで続く大河小説だけれども。

 池波正太郎の本ははじめて読んだが、面白いね。語りが独特で「みなさん、ご存じかね?その頃はこんな風だったんですぞ。」と言った弁士のような雰囲気がある。もっとも、この本だけかも知れないけれど。文庫3巻の大作を一気に読んじゃった。

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2013年

4月

21日

また、盛岡に行った。

 また、盛岡に行った。前回は冬まっただ中で、夜道で凍り付いた。今回はもう福岡は桜は完全に終わっていて、沖縄は4分の1ぐらい夏だったから、盛岡といえども、春の兆しがあるべ、と思って春の格好で颯爽と行ったら、まだ春が浅ーいんだ。桜なんてまだまだ。とんでもねえ。

 で、今回も着ている服が春的だったもんで、体感寒さは以前の如しで「早くどこか店に入ろう。」的な夜の盛岡でした。またぞろ、ボーインボーショクした。二軒目に行った木樵というお店で出されたフキノトウを味噌で和えたような食べ物がやたらにお酒にあうんだ、これが。名前はバから始まるんだが、今出てこない。その時、忘れるだろうなと思いつつ聞いてやっぱり忘れた。また、五月に行くベ。

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2013年

4月

14日

大分市のBAR CASKに行きました。

 昔の、と言ったって10年前になるだけだが、医学部卒業したてのまだ何にも知らない女の子を一から教えたことがあります。別に麻酔科になろうっていう訳ではなかったんだが、手っ取り早くなんか役に立つようにしようとうわけで、麻酔科の研修をみっちり受けてもらった。(その頃僕はある病院の麻酔科部長だったのだよ。)今の麻酔科の現役諸君が後輩達をどんな風に教えているか知らないけれど、僕の頃の研修というのは、研修と言うより稽古の様な風だったな。理屈より、身体が動くように鍛えるやり方だった。手取り足取りなんてことは全くなかったね。技術を持っている先生のやり方を見て、覚えるしかなかったわけです。だから、僕も後輩達を教えるときは、「鍛える」ように教えたね。その女の子は、ゼッタイ手取り足取りしない僕のやり方によく付いてきて、半年も経つ内になんだか仕事ができるようになった。砂漠に水をまくように何でも吸収したんだろうね。

 その女医さんと(今や立派な脳外科の専門医なんだからたいしたもんです)10年ぶりに会って、カスクで乾杯したわけです。10年の年月がそれぞれにあって、それぞれに「橋の下を水が流れた」わけだが、一瞬にして彼女は研修医の彼女になったもんです。10年を飛び越えて、10年を眺めやるには名店BAR・CASKはふさわしい場所でした。「ワタシの医者としての原点は済生会日田病院での研修です。」と言われた時にゃ、かって麻酔科医師だったおじさんはトテモウレシカッタね。ハハハ。店主の佐藤さんが出してくれた銘酒ポート・エレン27年が喉に沁みました。

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2013年

4月

04日

街の書たち・その4

 いつだったかバレンタインのチョコレートをいただいて、その箱書きというか、表題(チョコの表題てのも変だ)というか、とにかくこの横文字達を見ておくんなせえまし。

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2013年

4月

02日

「いのちなりけり」を読んだ。

平田ペインクリニック 桜

 近くに借りている駐車場の脇の家の庭にみごとな桜の木があって、3月いっぱい美しく街の一画を飾っていた。毎朝、車に乗る前のほんの数秒、眺めては心が澄むような、ちょっぴり悲しいような気分になっていた。4月に入って、葉桜の様相が急に強くなっている。もう数日で、たぶん今日の雨で、この桜の今年は終わりだろう。

 毎年、気になる桜並木がある。大分県の日田市に向かう途中にある小さな神社の桜並木だ。小山の上にある神社に向かう参道は季節になると桜のトンネルとなる。参道の入り口にある桜の古木は威風堂々、山肌を渡る風に枝が揺れて、満開の桜の花がさわさわとなる姿などを見ていると、どこか違う世界に立っているような気さえする。その桜、桜並木を今年は逃してしまった。気になって、気になって、明日は朝駆けで観に行こうと念じながら、朝の怠惰に負け続けてとうとう四月の声だ。

 

  春ごとに花の盛りはありめれどあひ見むことはいのちなりけり

 

  詠み人しらずのこの歌を探し求めて、恋するひとに伝えるために生き抜いた男の半生。満開の桜のさざめきのように、この歌の調べが全編を貫く秀作。いい話です。最終項の「葉隠れ」の引用が雅印のように光って忘れ難い。葉室麟作。

 

 

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2013年

3月

31日

暑い、寒い

 今年は桜がやたらと早く咲いて、暖かさも日に日に増してくるわけですが、夕方なんか寒いと思いませんか、皆さん。でも昼日中は、ちょっと走ると汗が引かない暑さですよ。で、三越は7階のブルックス・ブラザーズに暑くても寒くてもさっと羽織って便利な今くらいの時節にいいもんはナイカイな?とエスカレーターを駆け上がって行ってきました。5階ぐらいで、実はヒーハー息が上がっていたんですが、ここで止めたら申し訳が立たぬ、と何に申し訳が立たないのか分からないが、気合いを入れ直して、7階まで行ったもんです。で、店長さんに、これこれこういうわけで拙者は参ったのでござる、と事情を説明するや、「相わかった。ご安心めされい。」と店長さんはテキパキ動いて、なんだか若い感じのファッションができあがってしまいました。いいね。彼女(店長さんは女性なのですよ。念のため。)はまさに主治医だね。いい主治医を持つのはハッピーなことだと思いますよ。身体、しかり。ウェアー、しかり。また、いい春の買い物でした。

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2013年

3月

31日

沖縄に行ってきました。

 那覇市に行ってきました。暑かったね。夏のようではないんですが、春ではないな。空港のコンコースに飾られている白や紫の蘭の花々が、「めんそーれ。ここがアタクシ達の国ですのよ。オホホ。」と、姿よく凛と元気に咲いているのを眺めながら歩いていると、もう「ちょっとチガウゾ、ここは」と肌から何かが染み込んでくるようです。空港を出て、なんとなく海の香りがする風にさっと包まれたら、「ああ、こりゃ沖縄、南の島だわ。」と暖かく納得しましたね。スーツ着て話している僕の話を聴いている方々の中にはTシャツ半袖姿もいて、やっぱり暑いのね、と思いながら話してきました。講演は自分で言うのもなんだが、いい感触でしたね。沖縄の人たちはほんとにご熱心で、漢方を勉強したい、と言う素直な気持ちがいっぱいの感じでした。

 司会をしてくれた琉球大学のO教授(高校の3年の時同じ組だった)が那覇の家庭料理の飲み屋に連れて行ってくれて、二人で旨い泡盛を飲んだ。島らっきょう、なんとかいう柔らかいピザのような料理(名前忘れた)、豆腐になにか野菜を和えたもの(これも忘れた)などなど、出てくる料理は全部旨かったし、すこし風邪が残っていた身体だったが、なんだか元気になりました。また、このお店がいい雰囲気なんです。奥の方で、と言ってもあんまり広くもないんだが、主人と覚しきおじいさんが、ずーっとサンシンをゆったり弾いていて、時間の流れがここは少し遅いんじゃないの、みたいな感じでしたね。カウンターの前の壁?には訪れた客達の名刺が何層にも貼り重ねられていて、油で変色して「なんだこりゃ。」的オブジェになっていました。で、僕も隅の方に僕の名刺にO君の名前を添えて、昔懐かしい画鋲で貼り付けてきました。お店の名前は「苗」。まだ、一人で行く自信はありません。

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2013年

3月

17日

高校の文化祭に行ってきた。

 僕は高校時代、書道部だった。お袋が感心するぐらい勉強せずに書道ばかりしていたわけで、どうしてあんなに集中できたのか、今もって分からない。朝、登校してまず行くのは書道部室。もう、誰か来ていて、墨を磨っているような風だった。で、昼休みにまた来て、少し練習する。文化祭が近かったら、その出品作の手本の臨書に余念がない。放課後、また来て、どうかすると8時ぐらいまで、書いていたりする。そりゃ、部員達とトランプしたり、だべったりの時間も相当あったに違いないが、あんだけ書道に明け暮れてりゃ、ちっとは上手くなりますわな。まあ、それ以来、ほとんど進歩していないのが情けないわけですが。

で、後輩達の書を観に行ったのさ。高校の広い中庭に、でっかい紙を広げて、5,6人で共書していた。太鼓の音をバックに、でっかい筆で、全身で書を打ち込んでいた。これが、またいい字を書くわけです。単なるでかい書を書いているというパフォーマンスにとどまらないものがあったな。日頃、ちゃんと練習している筆の動きが随所に見えた。おじさんは分かるんですよ。

「楽しい!」「書道は楽しい!」そう、君らの動きは叫んでいましたね。そう、書道は楽しいんです。そのことを君らはよく知っているし、僕ら卒業生達もよく知っている。ただ、それだけなんだ。大事なのは。

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2013年

3月

13日

風邪を引きました。

実は風邪を引いていました。ほんのすこおし喉の右半分が痛いかな、ってくらいで小さなバス旅行に出かけて、温泉に入ったり、「耶馬美人のお湯割りねッ。」てな調子で飲んで、一晩寝たら、翌朝立派な咽頭炎が完成していたのです。それでもそこは漢方医の端くれ。携帯していた葛根湯とキキョウ石膏を部屋のポットのお湯で溶かして飲んだり、うがいしたりしてなんとか旅程を終えて、帰ってきたのです。しかし、やっぱり発熱したね。当たり前やな。患者さんに「そういうことをしたらアカンヨ。」といつも言っていることをきっちりしたんだから、ジゴウジトクとは是なり。イカンネエ、医者のフヨウジョウが正しいか、ブヨウジョウが正しいかって、そんなこたあ知りませんが、悪いのはワタシです。ハイ。

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2013年

2月

28日

早、3月

 ついこの間新年の抱負とかなんとか宣言したかと思えば、明日からは三月。なんということだ。2月は四捨五入で還暦を迎えて、なんということだ、と嘆いたのもつかの間、すでに一年の6分の1が過ぎたのである。元旦からここまで、あっという間だったから、あと五回、「あっ」と言えば、来年になるという算数だ。どうする!いったい、このけたたましいほどのスピードは、いったいなんだ?

 〜まあ、そう目をつり上げて声を張りあげなさんな。君と君を取り巻く世界の時間の早さは太初の昔からかわっとらんのだよ。もちろん君が生まれてから、急に早くなったこともない。問題は君の、その落ち着きのない処世にある。なんだ、いいおじさんが。座る前から、立ち上がることばかり考えて。右足を出す前から、左足を出そうとしながら歩いてやがる。そんな腰つきで、「閑」もへったくれもあるもんか!〜

 明日より三月。我が家の窓際に家内が飾った小さな薔薇のたたずまいを見習って、この送別の月を迎えましょう。今回はやや神妙。

 

明日はもう五十五なるか来し方の何ほどもなきを知り尽くしおり  

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2013年

2月

27日

福岡・三越に

何にしても新しいスタートはいいもんで、期待も不安も勢い盛んな炎のように清潔に感じられるもんです。福岡の三越にブルックス・ブラザーズが新しい店舗をオープンしました。ブルックス・ブラザーズのファンとしては、見過ごせない訳です。従来のきっちり品良くすっきりと、のコンセプトを離れて、やや若向けの品揃え、「元気な若者,カッコヨク歩こうぜ」的な雰囲気です。ブルックスに、こんな一面があったのね、と感じました。「まだまだ若い!」という「もう若くない」宣言をしてしまう前に、若くて明るいブルックス・ブラザーズを着こなしてみるのもいいかもしれねー。街の風が違う趣でそよいでくるかも、などと妄想しました。福岡・三越7階です。

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2013年

2月

23日

街の書たち・その3

 街の書ではないけれど、映画の題字や配役の紹介の字なんかに思わず見とれることがあります。昨年亡くなられた書家の今井凌雪先生が黒澤明監督の映画「乱」の題字を書かれましたが、あんな大家の書が立派なのは当たり前と言えば当たり前で、そんなんじゃなくて、誰が書いたのとも知れない字でいい字のことがあって,目が離せません。これは映画「浪人街」の字です。主役の浪人を原田芳郎が汗臭く演じていました。相手役は樋口可南子で色っぽい夜鷹が良かった。七人の侍系の骨太の時代劇です。それにしても、この字、いいなあ。レンタルDVDを巻き戻して?何回も見ました。腕に覚えの人が書いたに違いない。こういう強い線質の字は最近あまりないね。一画一画グイグイと、力が入る字です。映画も力が入るいい映画でした。

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2013年

2月

22日

街の書たち・その2

羽田空港の長い通路の壁面にこれを見た時は驚きました。しばらく立ち止まって眺めたもんです。商業文字とは言いますが、これはもう立派な書です。チューブから絵の具をそのまま絞り出しながら、書いたのかもしれません。線の終わりが何となくそんな感じです。こんなに「自在」に書けるなら、筆なんぞイラン、という感じですね。椅子の宣伝ですが、そのコンセプトがよく出ていると思いますね。上手い!感服!で、次に上京したときにはもうないんだ、これが。また、何か目を引く字がないかと、思ってベルトコンベアーに乗っかりながら探してますが、ないね、もう。「坐道自在」あれきりでした。サイナラ。また、どこかでお会いしたいもんです。ハイ。

 

 

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2013年

2月

12日

街の書たち・その1

 字にはいろいろその字相のようなものがあって、悲しそうだとか、嬉しそうだとか、決意を秘めた様相だとか、自由奔放「オレの世界」的だとか、イロイロサマザマ、人の顔のごとくです。僕がことに気にするのはレストランや喫茶店、その他食べ物関係のお店の看板の字です。まず旨そうでなくっちゃね。字と言っても書と言ってもいいけれど、その面構えが不味そうじゃ話にならない。一見、一瞥、見ただけで「オッ、こりゃ旨そうだね。」と半分店に入ったような気になるような看板がいいじゃないの。全国いろいろお店の字を見てきましたが、今のところこの「皿皿些(サラサラサ)」が一番だね。大分市の繁華街、半分酔っ払った僕の目は白い灯りに裏打ちされたこの字達に釘付けになった。上手い!旨そう!楽しそう!きっと、ここの料理は人を幸せにするだろ。そんな気分になるね。で、店に入ったかというと、これがまだ縁がない。大分市にはちょいちょい行くけれど、酔っ払いは酔っ払いなりに忙しくて、このお店がまだやってるのかどうかも知らないのだ。やってたら、今度はゼッタイ行くで!

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2013年

2月

06日

菜の花の絵が届きました。

 知人に絵を描く女性がいて、その時々の作品を貸してくれます。夏には海の絵を、秋にはコスモスを。そろそろ春、でもないけど畑に菜の花が咲き始めているなと思っていたら、菜の花の絵が届きました。彼女は僕が医者になり始めの頃の主任さんで(研修医ふぜいよりはるかに医療に詳しく、腕も確かだった)後に看護師長になり、だいぶ前に退職されて、好きな絵を描いて「絵描き」三昧の日々をすごしておられます。クリニックの待合室には、僕の下手な書とプロの絵描きの絵とプロ級の写真をいくつか掛けていますが、観るものをなんだか気持ちよくさせてくれる点では彼女の絵が一番です。邪心のないというか、本当に絵が好きで描いている絵です。まっすぐなKさんの心情そのものの絵です。患者さんも時折掛け替えられる彼女の絵を楽しみにしています。僕は写真が下手で絵の魅力の4分の1も伝わらないけれど、K女史作「菜の花」をアップします。

 で、今、アップの了承を得るために、数年ぶりに電話で話したら、なんと彼女は自転車それもあのタイヤが小さな街乗り用の自転車で東海道を京都から東京まで走破したんだと。もう、旧街道はほとんど走破していて、残るは青森までで、今年は「やるだろうね。」とのたもうておられた。僕が医者に成り立ての頃、病棟の主任だった人だよ。あれから、30年。いやはやたいしたもんです。「奴○の様に働き、王様の様に遊ぶ。」というのはこのようなことだな。いやいや、改めてKさんとはよくぞ出会ったもんだと思いました。

 

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2013年

2月

03日

「王羲之」観てきました。

 東京で新奇な集まりがあると聞いて、物見遊山で出かけたら、たいしたことない内容で、早々に退出して、飛行機まで時間があって、どうすっぺか、と江戸の冬空を眺めていたら、「そうそう、王羲之、王羲之。」と思い出して、上野に行ってきました。

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2013年

2月

03日

「解錠師」を読みました。

 スティーヴ・ハミルトン作「解錠師」を読んだ。アメリカ探偵作家クラブ賞と英国推理作家協会賞の受賞作で、結構長い話だけど、すらすら読んでしまった。「プロの金庫破り」になってしまった少年の成長が書かれているわけだが、この少年が幼少時の心的外傷のためか「声が出せない」少年で、絵の才能があり、恋人に絵を描くことで、自分の気持ちや過去を伝えるといった設定が言わせないね。

 アメリカの推理作家協会というと、僕はロバート・B・パーカーに一時期はまっていた。スペンサーシリーズは随分追っかけて読みました。マッチョ指向のどうしようもない小説と非難する向きもあるようですが、「人生に対する姿勢」だとか、「行動の規範」だとかいろいろ考えさせられたもんです。最初の方は新鮮だったスペンサーと恋人スーザンとの会話はなんだか飽きてしまいましたがね。「それを行って正しいかどうか、と言うことは、それをした後にすっきりするかどうか、で決まる。」というヘミングウェイの定義はこのシリーズの中で知りました。

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2013年

1月

27日

マックにもどった。

 昨年末、パソコン環境をMacintoshにしました。長いことお世話になったWindowsがどうのこうのという訳ではないのですが、10年以上使ったノートパソコンがどうにも動きが悪くなって、買い替え時期かと思って、この際マックにと思った次第。実は昔からマックのユーザーではありました。その昔、Q大学の研究室にいた時にその建物にマックのマシーンが1台しかなかった。みんな98ノートなんて今からすれば骨董的なマシーンでせこせこやっていた頃です。それでも、文章を書くにはずいぶん便利で、ありがたかったもんです。しかし、なにか画像的なものを扱うと、断然マックで、みんなその1台しかないマシーン(確か、Siだったと)を順番で使っていました。それから、数年して唐津の病院に赴任した時に、念願のMacintoshマシーンを買いました。カラーが使えるマシーンの普及モデルでLCという型でした。なんとメモリーは4MG、ハードディスクは40MG。みなさん信じられますか?それでも、なんだか、高級でおしゃれで、暇さえあれば触って遊んでいました。そう、マックには「触って遊ぶ」感覚があるんですな。Macユーザーは唐津に10人ぐらいで、唐津Mac倶楽部というのがありました。しょっちゅうフリーズするのがMacのいいところ、といっては言い過ぎですが、フリーズするのも込みでMacを楽しんでいると言った感じでしたね。それから、Macはどんどん進歩、進化して今や昔の面影もないようです。いや、こうして扱っていると、その昔、「おしゃれな、人に優しい、コンピューター」の心意気は受け継がれてますね。今日、Genius Barで懇切丁寧なティーチングを受けて、何となく今のMacワールドが少し分かってきました。サービスの提供環境も充実してますね。その点も、「昔」とは大違いです。スタッフも格好よくていいね。Mac=オタクのイメージも変わりました。

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2013年

1月

20日

盛岡に行ってきました2。

 盛岡に行った。どんなにか寒いかと、思いきや、花巻空港に降りてみれば、ナンダこんくれーか?くらいの暖かさ。じゃないけど、ホー、さすがは北国、と言うような寒さではなかった。で、高をくくったのがイケンやった。また、岩手大の友人とボーインボーショクやって、とんでもないスコッチのバーに行って、出てきたら、これが寒い!友人はへいちゃらでずんずん歩いて行くけれど、みるみる冷えてくるのが分かるわけだ。「タクシーが捕まらないから、通りまで歩くべ」と言うから歩くけれど、シンシンカンカンと冷える。寒い。はあ、これが盛岡の寒さかと、感心したら、「なんのマイナス6度ぐれーだ。こんなもんじゃないっぺ。」と、だとだと。

 スコッチはびっくり仰天のお店でした。東京から飲みに来る客も多いとかで、なるほど、そうやろうねえ、というお酒の種類でしたね。

 で、翌朝飛行機が昼過ぎしかないから、午前中、「温泉に行くか!」となり、網張温泉に車で連れて行ってもらった。時間にして30分ぐらいか。そしたら、みるみる雪景色になって、降るは降り積もるは、あっという間に雪国になった。こんな天気に温泉に入りに来る人なんかおるんか、と思っていたら、オルワオルワ、おじいちゃんから子供まで、温泉センターは繁盛してます。ちらちら額に雪を降りかからせながら、最高の露天でした。芯まであったまって、帰り道にしずくいしアイスという有名なアイス屋さんで、男3人ジェラート舐めて、飛行機乗って帰って来たベ。空飛ぶバスみたいなかわいい飛行機のシートに座って、福岡の友人から借りた「天地明察」を数行読んだら、温泉の余熱と夕べのお酒と日頃のなんともしれん疲れが身体の中で靄のようにこみあげて、昏睡。気がついたら、見慣れた博多湾の上空でした。

 

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2013年

1月

13日

「のぼうの城」を読んだ。

 和田竜の時代小説「のぼうの城」を読みました。映画を観ていないので、登場人物のイメージを勝手に膨らませながら、一気に読み通した。とは言うものの、文庫の帯に野村萬斎の写真が載っているから、成田長親には彼の顔を浮かべてしまった。映画もいいけれど、登場人物のイメージがどうしても限定されてしまっていけないね。今度のレ・ミゼラブルもジャン・バルジャンの屈強な姿がラッセル・クローに決まってしまって、それはそれでいいんですが、もう他のイメージでは読めなくなる。で、「のぼうの城」ですが、これが史実に基づく話だというのには驚きました。平家物語を武士達の大音声と汗と高笑いなどのシンフォニーだと評したのは誰でしたか、そんな文章を思い出しましたね。正木丹波が単騎、敵陣を切り裂いていくところなんか、三国志の張飛や関羽を彷彿とさせます。酒巻ゆき負の智略は諸葛亮孔明。秋月記といい、人物と風景と時代の姿形がはっきりとした物語の読後感はいいもんです。

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2013年

1月

09日

秋月記を読んだ。

 葉室麟の秋月記を読んだ。福岡県の真ん中くらいにある秋月という町の昔の話だ。何度か行ったこともあるし、私の祖先は秋月藩に居候していたとか言う話もあって、親近感を感じながら読んだ。福岡の話も出てくるし、大分の日田、咸宜園の話もあって、ますます「おお、そうか。」という感慨がある筋立てだった。藩の財政の立て直しが縦糸で、それに絡む人々の虚々実々の渡り合いが皮膚に触れてくるように書かれた秀作。いい読後感でした。忍者のような集団や、超人的な柔術使いなんかが出てきて、読み物としてもおもしろかった。秀才の娘さんが出てきて、名前が「猷」(みち)というのがまたいいね。

 「ディビザデロ通り」はどうなったかって。読んでないのよ。オンダーチェの語りにとうとうついて行けなかった。こういう時は、最初から再挑戦だな。まあ、ご縁があれば。

 

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2013年

1月

05日

ウソを書きました。

 年末にチンギス・ハーンが蘇って云々、という映画のことを「フロム・ザ・ダークサイド」と紹介していましたが、正しくは「シャドー」でした。1994年のアメリカ映画です。超能力を操るチンギス・ハーン役は超二枚目ジョン・ローン。迎え撃つちょっと暗いヒーロー役はアレック・ボールドウィンでした。すいませんでした。だめだねえ、記憶が。

でも、ネクタイの話はほんとですよ。

2013年

1月

04日

2013年になりました。

 正月はゆっくり、というのが定石と思いますが、正月行事というのがあって、「なんだ、もうこんな時間か。」的な時間の経ちようです。年末から溜まっている書類たちをやっつけなくてはならないと、思いはしますが、正月の昼日中から、クリニック関係の書類でもないだろう、と文字通り部屋の片隅にほったらかしにしていたら、もう明日は診療開始日だ。正確には今日、始まりだ。まあ、こんな風で今年もバタバタ過ぎてゆくんでしょう。しかし、百万遍の「しかし」、今年は年月という奴らの思惑通りにはさせませんぞ。忙中閑あり、だ。抱負のことをレゾリューションというのだそうで、そう、マイ・ニュウ・イヤー・レゾリューションはこれ、『「忙中有閑」を忘れない。』です。今年もよろしくお願いいたします。

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2012年

12月

23日

中林梧竹の書展に行ってきました。

 書の仲間と一緒に佐賀市、小城市に中林梧竹の書展を観に行ってきました。圧倒された。作品の撮影はできないので、お見せできないけれど、こういう作品群を観ると、昨今の日展をはじめとする書展の痩せぎすさに気づかされますね。そりゃ、オマエ書いてみろ、と言われたら書けはしないわけだが・・・。

 音楽でたとえるなら、フルトヴェングラーとかケンペンあたりの録音をバーンと聴かされた感じですかね。へへーっと参っちゃった感がある。すごい人がいたもんです。梧竹といい、副島蒼海といい、佐賀という土地はすごい書人を輩出したところですね。いつか武雄の旅館に泊まったときに、ロビーに普通に置いてある屏風が素晴らしい書でへーっと思ったことがあります。やはり伝統があるのかなあ。

 で、梧竹を疲れるほど観て、その後、千美展という姉妹二人による書展を観に行きました。これがまた良かった。お姉さんの方とは僕の出身高校の書道教師を勤められたご縁があるのです。真摯に楽しんで挑戦している作品群で、古い倉庫だったというレンガ造りの会場もまた作品を引き立てて、いい感じの書展でした。オレモカカナキャ、とツヨクツヨク思わされました。ハイ。

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2012年

12月

22日

服を買った。

 僕の漢方の師匠はオシャレで社交ダンスのせいかしゃきっと腰が伸びてなかなかの伊達男ですが、そのO先生から「なかなかいいネクタイしとるやないの。」と褒められたことがあります。「そうでしょう。こりゃターンブル・アッサーのタイで・・・」とサラサラッと説明はしなかったが、内心「へへへ。」と喜んだもんです。 「シャドー」(1994年・アメリカ)という映画(チンギス・ハーンが現代に蘇って、世界征服を企むのを、主人公が超能力で阻止するという筋だった。)の中で、チンギス・ハーンが主人公がしているネクタイを「いいネクタイだ。何というのか?」と褒めるシーンがあります。その時ヒーローが答えて「ブルックス・ブラザーズ」と言う。

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2012年

12月

13日

さよなら、Uさん。

   今年は訃報が多く、新年の挨拶遠慮云々のはがきもやたらと舞い込む訳ですが、日田市のバー・ヘネシーのマスターUさんが11月のはじめに亡くなられていた。残念で、寂しいね。何かの本で、人生最後に話したい人間がいるとしたらそれはバーテンダーだ、と言う話を読んだことがある。Uさんの面影を偲ぶと、そうかもしれないね、と思えるな。混んでいるときなんか、僕らが団体で押しかけたときぐらいで、ほとんどカウンターに僕かもう一人くらいが飲んでいるくらいで、騒がしかったことなんか一度もない店だったね。勧められるまままにあれやこれやを飲んでいただけだが、旨そうに飲んでいるのをカウンターの向こうで嬉しそうに眺めていたお顔が今も目に浮かぶ。ニッカウィスキーこそ、という信念で日田市にかってニッカの工場があったと言うのもあろうが、ニッカを語る時には、熱い口調で半分怒ってるように見えたもんです。

 確かに「余市」は旨い。このブログで部屋の余市がもうなくなると書いていたら、何十年と会っていない知り合い、いや友人から余市をいただいて、それが今僕の目の前にある。贈ってくれたその人とは20代に一度か二度会っただけなのに、なんという志だろう。荒削りの20代、ウィスキーで言うならまだウィスキーじゃないぐらいのころ出会って、話して、それから一度も会ってない。「橋の下を水が流れて」お互い年月がたった酒のようになったかもしれないね。どこかで会えたなら、しみじみと・・・、いや一瞬で20代に復活するだろな。まぁ、ともあれウィスキーです。沈黙も饒舌も、悔いも喝采もこの液体に溶け込ませてちびちびと夜が更ける。そんな時間の過ごし方を僕はUさんから教えてもらいました、「地球は冬で、寒くて暗い。ぢゃ、さようなら。」とは詩人の詩人への弔辞ですが、「Uさん、ほんとに今年は寒いですよ。また、いずれ、余市を、いやカナディアンの安いやつにしましょうかね?」  再見

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2012年

12月

13日

ナント年の瀬だ!

 12月に入った。それも、今日はもう8日だよ。この間、年賀状を書いた気がホントにする。光陰矢の如し、とか言うまでもないことで、矢どころか鉄砲だな、この速さは。なんだかこんなんで生きる日々が過ぎていくのかと思うと、いわゆるヤルセナサがぐっと迫りますね。

 と、言いながらもいろいろ気が多いことには変わりなく、過ぎ行く年月に負けないぐらいに全く落ち着きなく動いていますね。ホントに落ち着きがないね、僕という人間は。落ち着きというものを生まれた時に産室に置き忘れたんだ、きっと。

 来年の抱負は「時間を上手に使うこと」。これに尽きるです。もう、忙しいのは解消しない。あきらめた。母親がいつか言ったもんです。「アンタは一生忙しい。」ならばそのバタバタの時間の中で、静謐を得てやろうじゃないの。「忙しい者が最も多くの時間を持つ。」んだそうです。結論ばかり求める風潮に棹さして、ほとんど結論が出ない世界に身体のどこかを浸していたいね。で、最近「ディビザデロ通り」を読んでます。「イギリス人の患者」のマイケル・オンダーチェが書いた、これまた詩のような、話のような、記録のような、現実とそうではない世界とがふれあう隙間のようなところで、誰かが静かに歌っているような小説です。「イギリス人の患者」は映画化されて、その年のアカデミー賞をいくつか穫ったが、忘れがたい映像でしたね。僕はこの映画と「存在の耐えられない軽さ」でジュリエット・ビノシュを知って、以来追っかけです。そう!彼女の出演作でまだ観ていないのがあるんだ!ヤルセナイなど言ってる暇はない!・・・フランス映画の結論のなさも、うんざりだけどね。

 

 

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2012年

11月

27日

宮崎市に行ってきました。

 日本東洋医学会九州支部会総会という大変な名前の学会に出席する為に、飛行機に乗って(30分で着くんだからやっぱり速いねえ)宮崎市に行ってきました。小雨がちらつく天気でしたが福岡より少し暖かでした。会場はバブルまっただ中に建てられたに違いない豪壮なコンベンションセンターで、空調費だけで馬鹿にならんな、と余計なお世話なことを考えてしまうのは極小ながら施設の経営者だからでしょう。学会はこの忙しいのに出席せにゃならん、ナンノ因果かなどとぶつぶつつぶやきながらも、やはり来てみれば勉強になるんだな、これが。一人でいくらコツコツやったって、それほど勤勉でもない素性のものが身に付くことなんてたかが知れてますから、「学会」っちゅうやつに来て、自分よりよくわかっている人たちの言ってることをつらつら聴くだけでも大変なもんです。「うーん、やっぱりがんばらんといかんな。」と刺激を受ける訳だ。で、夜は宮崎の夜で、昼間すばらしい話をされるそのご仁が、「浪速恋時雨」や「嘘」をCDでも出したら、というレベルで歌われる訳で、いやいや、学会は行くもんです。

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2012年

11月

20日

盛岡に行ってきました。

 漢方の講演で盛岡に行ってきました。実は盛岡はなじみが深い。小学4年の時に道で出くわして以来という友人が岩手大学で教えているのです。この男は小学校の時は優秀だったね。中学で一緒になったが、まだ優秀だった。高校も一緒に入ったが、だんだん怪しくなった。お互い浪人を重ねてそれぞれの道に入ったが、ずうっと付き合いが途絶えない。僕は彼より国語ができたと思っているが、彼は僕より理数系ができた。彼は今、漢文の教授だ。わからんもんです。彼のつてで、岩手大学の教授連の幾人かと顔見知りになった。まったく専門が違う彼らと話しているとめちゃめちゃ楽しいね。音楽が専門のKさんとはもう古い友人のようです。今回は僕は少々疲れていて、あんまり飲めませんでしたが、来年1月にまた北上します。楽しみです。それにしても、盛りは過ぎたとはいえ、樹々の紅葉の美しかったこと。深さが違いますねえ。その辺の街路樹からして、きれいなんだ。

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2012年

11月

20日

アイフォーンを触っていると・・・3

 締め切りをとおに過ぎている原稿とか,他にもいろいろ,せにゃならんのに,アイフォーンの窓から目が離せない。ナニヲしているかって?「脳年齢計算」という奴です。物忘れがひどい。患者さんが「最近物忘れがひどくて困るんです。」とよく言われますが,それはこっちのセリフです,と言いたいくらいだ。人の名前なんか,激しく忘れる。手帳にメモした内容を読んでもピンとこない。何かの略号で書こうもんなら,もうほとんど内容を解凍できない。少し病的な域ではないかと,うすら寒くなるくらいです。で,この「脳年齢計算」にはまったわけです。いろいろテストが用意されていますね。ひたすら暗算させるのとか,あみだくじの行方を素早く当てさせるのとか,様々,ウムム,カンタンジャネエナ,コリャアと思わせる内容です。で,僕が懸命になっているのは,「瞬間記憶」というヤツ。3個から6個の数字がパッと出てきて,あっという間に裏返って消える。それを小さな順に指で触って当てていくという,ごく単純明快な作業です。楽勝と思いきや,これが出来ない。3個,簡単。4個,まだいける.しかし,5個,6個となると,半分正解できればいいほうかな.それを20題繰り返して,さあ,あなたの「脳年齢は・・」と表示されるわけです。僕の脳年齢は最初のテストでなんと,107歳と出た。これにはショックでした.それから,暇さえあれば,画面をピコピコ突っついては,オオッ,今日は53歳だ。若返ったなあ。なんて,ヨロコンデいるのです。50歳とか出た日にゃ,これがまたウレシイ。ナアルホド,こんなものを子供に与えちゃいけませんわ。僕なんか,没頭しようにも目が疲れて続かなくなるからいいけれど,若い連中は疲れ知らずにピコピコ続けるわな。年齢はいつまでも若くてスッカラカンの脳ができあがるでしょうね。

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2012年

11月

20日

アイフォーンを触っていると・・・2

 アイフォーンで小説を読んでやろうと思って,青空文庫というところで物色していたら,夏目漱石の「三四郎」があった。なんだか懐かしい気がして,ちっちゃな窓に「三四郎」を映して,ちょびちょび読んだ。いいねえ。評価はいろいろあるでしょうが,僕はこの小説が好きだね。漱石は「三四郎」を連載するにあたって,明治という時代の東京という町に若い登場人物たちを放り込んでやれば,勝手に生き生きと動き出すだろう,と言ったというけれど,本当にその通りに三四郎も美禰子も,与次郎も野々宮さんも漱石の思惑とは無関係に活動して,漱石はそれをただ懸命に写し取っているような感じだ。明治という時代のガヤガヤとした喧騒とまだ汚れていない東京の澄んだ青空や空気が肌に触れてくるようだ。小さな画面で,時には12分という時間で読んだ。一月ぐらいかかったけれど,いつもあの時代の東京を小脇に抱えているような,ひそかに嬉しい気分でしたね。文庫をポケットに入れているのとはちょっと違う感覚だな。こんなことは一昔前にはありえなかったわけで,進歩ですねえ。本読みの風景が変わったね。

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2012年

11月

20日

アイフォーンを触っていると・・・

 アイフォーンのユーザーになって,小さな画面を見つめている時間が長くなった。小さな画面は一つの窓で,窓の向こうは無限に近い電脳の世界だ。医者になった頃,手術室からの呼び出しはポケットベルというものだった。ピーピーピーと鳴り出すと,慌てて公衆電話を探したもんです。いつだったか某看護師さんを山奥の湖に連れ出して,ボートに乗ろうとしたまさにその時,ピーピーピーと鳴り出して,我が耳を疑ったことがある。無視しようとも思ったが,彼女のほうが大人で,「行かんとイカン。」と諭してくれた。研修医時代を思い出すと必ず出てくるから,よほど悔しかったんだろう。Yさんはどうしているやら。あの病院の看護部長ぐらいになったかな。あの時ポケットベルが鳴らなかったら・・・,イヤイヤ,歴史にモシモ,はありません。

 

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2012年

11月

09日

コスモスが咲いて、、、

クリニックから都市高速に向かう道の脇に今年もコスモス園が花盛りになった。と思っていたら、少しずつコスモスも元気がなくなっていきますね。元気な盛りには朝日に映えて、周りの空気まで華やかに染まるようですが、このごろは少し褪せてきたのがわかります。しかし、まだまだ通る人たちの目を楽しませています。バス停に待っている通勤の群れもコスモスの満開をバックに立っているわけで、いい感じのショットになっています。畑の脇で写真を撮っていると、自転車で通りがかった女性が携帯を構えて写真を撮りだしました。雰囲気のある美人で、僕はコスモスを見る振りをしてチラチラ見ていました。秋の風だ。

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2012年

11月

06日

コーヒーのこと

コーヒーは身体にいいのか悪いのか、僕はよく知りません。もし、少々悪かろうと、今は珈琲じゃなくちゃ、という時があります。たとえば今、まさに外来が始まろうとしているわずかの間の静かなクリニックで飲んでいるキリマンジャロの美味しいこと。「美味しくなかったら代金は要りません。」という看板を出している六本松の珈琲館で挽いてもらった豆を「仙鶴水」という濾過水で淹れています。ペーパーフィルターで適当に淹れていますが、旨いなあ。「仙鶴水」を開発して紹介してくださった老大人は先頃亡くなられた。子供たちの絵を通して中国との交流に尽力されたというくらいしか存じ上げなかったですが、一二度、お会いして小さな身体の内奥に深い広々とした人間の世界が窺えるような方だった。もう少しいろいろお話を伺いたかったことです。大昔、作家の檀一雄さんが九州大学病院に入院されている時、中学生だった僕に国語の先生が「会いに行ってこい。」と言いました。檀一雄が誰かも知らない少年が行けるはずもなかったわけですが、そうしたら、ほどなく檀一雄は亡くなってしまった。後年「火宅の人」なんかを読みふけるようになって、「ああ、会いに行っとけばよかった。」としきりに思ったもんです。チャンスの後ろ頭ははげ頭、と教えてくれた女性はどうしているかしらん。チャンスはこちらに向かってくる時に捕まえないと、過ぎ去って行く時には捕まえようたって毛がないから捕まらないんだ、と彼女は言って笑ってたな。ああ、もうこんな時間だ。外来の始まり始まり。

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2012年

10月

21日

ウィスキーのこと

その昔、「日本人なんだから、日本酒でっしょ。」と日本酒ばかり飲んでいたワタシ。佐賀県は唐津のとあるバーに行ったときに「日本人なんだから日本酒でっしょ。」的な僕の気配に、そこのマスターはニヤニヤしながら「まあ、騙されたと思ってこれを飲んでみてオクレ。」と、あるウィスキーを出してきた訳です。小さなグラスにちょびっと注がれたその明るい茶色の液体をワタシは飲んだ.その時の衝撃と言えば大げさですが、いきなり別の窓が開いたような気がしたもんです。「ナンダ、このサビシイような味わいは?」なにかこうサビシイ風がびゅうっと吹いているところに立たされたような、そんな気分。「これ何?」と驚いてるワタシにマスターは「ボーモアっちゅう酒です。」とのたもうた.これがはじまり。それから、なんだのかんだのマスターが勧めるままに、ショットグラスで飲む、また飲む。珍しいのが入ったと連絡が入ると、飛んでいって飲む.必ずストレートだったね.で、その唐津を去って、しばらくして赴任したのが大分県の日田市。そこにまたとんでもないバーがあった訳です.唐津のバーも日田のバーも同じ名「バー・ヘネシー」。また飲んだ.今でもカウンターの一番端の椅子の座りごごちが忘れられないね。だいたい3杯くらいで酔ってしまっているんだが、それからマスターがいろいろ出してくれる訳.もうなんだかわからなくなってほんとのフラフラで、冬なんか寒い寒い日田の夜を家までよく無事に歩いて帰ったもんだ.おかげで、ウィスキー飲みのハシクレくらいにはなったかしらん。全国様々な街のバーを覗いてきますが、まあ、この話も切りがないのでおいおいということで.さて、我が家の台所の片隅の「余市」ももう残りわずか、自家製のハイボールで今夜もカラカラ、グビっといきます。ハハハッ、もう作る前から美味しいもんね!

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2012年

10月

20日

やや飲み過ぎた。

漢方内科の平田ペインクリニック

広島で漢方の話をさせていただいて、取って返して頭を冷やそうと福岡市薬院は浄水通のとあるバーにチョッと行きまして、カウンターに座って、きっちり正しく作ってくれるハイボールをごくっと飲んだら、これが旨い!。10月のおすすめモルトとメニューにあるのが見えて、ちょっと「ハーフで」と飲み始めたら、美味しくて、60度を越すとんでもない液体を「バニラが利いている。」とか、「酒度のわりには柔らかい。」とか、分かったような分からないことを言い出して、気がついたらおつむが痺れていました.イカンネエ。まいどのことながら。福岡市は薬院、浄水通に入ってすぐのこのバー、いい感じです.

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2012年

10月

19日

目が覚めてしまった。

飲み過ぎたのか、寒かったのか(数日前の蚊退治の際の蚊取り線香の臭いがまだ消えず、すこおし窓を開けて寝ているのです。すこおし後悔しています。)なんなのかよくわからないが、4時前に目が覚めて、しかも全く眠くない。スッキリ、おはよう、朝だぞ、みな起きろ!という訳にはいかないので、「早く出る。」と書き置きして(しとかないと蒸発と思われたらいけないからね。)クリニックに早朝出勤しました。駐車場に向かう途中見上げた夜空?にオリオン座がくっきり「もう俺はいるもんね。」と言いはしないが、かかっているではないですか。近くにはやたら明るいなんとかいう星が輝いていて、こんな時に星の勉強をしなかったことを後悔する訳です。あんなにたくさん星がひしめいているのにカシオペアとオリオン座くらいしかわからないんじゃ申し訳ないことだ。しかし、今朝の星々は本当に冴えざえと澄んで美しかった。なんで早く起きたのかって?「そりゃ『早朝覚醒』にきまっとるやないか。」と仲間の漢方医の声が聞こえてきそうです。

 

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2012年

10月

18日

蚊がいる。

部屋に蚊がいる。もう10月も半ばなのに。窓から入る夜の空気はまさしく秋のそれなのに、一匹の蚊が僕の部屋に潜んでいる。そして、ちゃんとそいつは僕に時折襲いかかってくる。あの夏の羽音をさせて、神出鬼没、突然襟元に浮かんで出るように現れて、「ややっ!」と追いかける僕を尻目にどこかに消えてゆくのだ。まるで謎の円盤UFOみたいだな、と僕はベッドの上にあぐらをかいて、どうやって退治してやろうかと思案する。じっと現れるのを待っていても仕方がないので、夏の残りの蚊取り線香を探し出してきて火をつけ、野見山暁治画伯の「アトリエ日記」を取り出して読み始めた。

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2012年

10月

16日

SFと言えば

SFと言えば、僕の原点は「宇宙大作戦」。小学校の頃テレビでやっていた今で言うTOS(The Original Series)です。一言で言えば、夢があったね。「・・・これは人類最初の試みとして5年間の調査飛行に飛び立った宇宙船、U.S.Sエンタープライズ号の脅威に満ちた物語である。」なんてナレーションが流れると、もう僕は完全に宇宙船USSエンタープライズのデッキにいて、ワクワクドキドキだったもんです。カーク船長とスポックが敵と戦闘する場面で「スポック、我々が助かる確率はどれくらいだ?」とカーク船長が訊くと、スポックは即座に「3540分の1です。(数字は定かでないけれど)」と冷静に答えるシーンがある。カークが「それは確かか。」と驚くと、スポックは「私の計算は非常に正確です。」と言うんだ。こんな場面と会話に、もうシビレちゃってたね。話から学んだことも多い。謎のガス状生命体「コンパニオン」が出てくる話で、その惑星に残れば遠からず死ぬという登場人物がその星にコンパニオンとともに残留することを選択した時、「何故なんだ。自殺行為じゃないか。」との質問に対して、彼は「死というものは人間のひとつの喜ぶべき特徴じゃあないかね。愛するものと共にいるかぎり。」と答える。これには参ったね。愛とか、死とか、いろいろ小難しい話はすっ飛ばして、いきなり本質を突きつけてくる内容だった。大げさに言えば哲学があの番組にはあった、と思いますね。スター・トレックの話を始めたら、終わらないから止めましょう。えっ、僕は誰かって?私は粕屋惑星連邦のU.S.Sペインクリニック、船長兼ドクターのミスター・マッコイ・ヒラータ。すべての周波数による亜空間通信終了。

 

 

 

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2012年

10月

15日

楽園のカンヴァス

原田マハさんの「楽園のカンヴァス」を読了しました。旨いものをたっぷり食べたような読後感でした。ルソーを廻る謎解きと人間らしい登場人物たちの振る舞いと近代絵画の歴史と景色が一枚の織物のように結実したいい話です。ピカソのアトリエが洗濯船と呼ばれていたことを初めて知りました。福岡の親不孝通り(今は親富孝通り)に洗濯船という居酒屋がありますが、由来はそれなんだろうな。Momaには1988年に行って、3時間ぐらいいました。(1988年!!もう、昔に類する頃じゃないか!うへえ!!)ジャコメッティだったと思うけどガリガリに痩せた犬の彫刻(「老犬」だったかな?)が印象的でした。

 

いわしぐも欲得もなくあらまほし  芝道

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2012年

10月

12日

星を継ぐもの

星野之宣さんによる劇画「星を継ぐもの」が完結しました。J.P.ホーガンの原作とは違う内容でしたが、むしろ劇画版の方が納得いく印象すらありました。原作と言ったってハヤカワで翻訳を読んだだけなので、星野さんの方が原作に忠実なのかもしれませんが。いわゆるハードSFの金字塔である三部作の見事な劇画化です。終章のガニメアンの演説ではついジーンとしてしまいました。

 

 

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2012年

10月

08日

大分まで往復してきました。

 10月8日、私の漢方の師匠である織部和宏先生の祝賀会に出席する為、大分市に行ってきました.織部先生は日本東洋医学会奨励賞という名誉ある賞をこの度受賞されたのです。

 快晴の大分道を快適にドライブして、途中、由布岳の素晴らしい景観を眺めることができました。

 

由布岳の仰ぐや秋の在りどころ  芝道

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2012年

10月

07日

月日は

 患者さんが「来がけにコスモスが咲いていましたよ。」と教えてくれて、「へえ、もう!」と思いながら、「そりゃ10月だもんな。」と軽い疲れのような感覚が湧きました。時が過ぎるのは早いもので、「え、もう来たの?この前診たばっかりじゃない。」とカルテを開くと、2週間処方がちゃんとなくなる2週間目の来院だ、なんてことは日常茶飯事、もう驚きもしません。このまま時のスピードが速くなっていくと、ヒッグズ粒子が見つかったなんとか言う加速器の中みたいに光の速度にどんどん近づいていって、とうとうそれも追い越して、時間が逆に回り始めて、患者さんも私も若返り始めたりして、、、なんてこたあないか。

 クリニックの近くの畑には毎年コスモスが一面に花を咲かせて、ちょっとしたコスモス園になります。最近は少し有名になって、見頃には臨時駐車場もできて、観光客?がコスモスの中に分け入って写真を撮ったりしています。彼岸花もいつしか消えて、もうすぐコスモスの番です。

 

 筆持ちてコスモスなどを想ひけり  芝道

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2009年

8月

17日

移転のお知らせ

平田ペインクリニック(旧平田医院)の場所は
旧平田医院から北へ500mです.
院外処方となり,漢方に対応できる薬局もすぐ近くにできました.
診療時間,休診日も変わりました.
ご確認ください

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9月30日

9月29日宇都宮市で痛みと漢方について話をしてきました.これで宇都宮市での5回連続の講演会は終わりました。ご聴講の皆様には、私の雑駁な話にお付き合いいただき恐縮です.あまり込み入った話はできないので、もっぱら臨床の話を聴いていただきました.何かのご参考になれば幸いです.